奈良・東大寺の大仏殿には、高さ14.98メートルの銅造の大仏が座っている。正しくは盧舎那仏(毘盧遮那仏)といい、東大寺によれば、知慧と慈悲の光明をあまねく照らし出す仏という意味である。聖武天皇が743年に造立を命じ、752年に開眼供養が行われた。
ただし、今日目にする大仏は、8世紀の姿をそのまま伝えているわけではない。大仏殿は1180年と1567年の二度、戦乱の中で焼け、そのたびに大仏と大仏殿は再興された。
文化庁のデータベースも、国宝の大仏を「奈良・江戸時代の作品」としている。この記事では、大仏がつくられ、失われ、よみがえるまでを、それに関わった人びととともにたどる。
この記事で、1873年より前の月日は、その年に西暦(グレゴリオ暦)へ切り替わる前の旧暦による。
天皇の願い
東大寺のはじまりは、728年(神亀5年)に聖武天皇の皇太子・基親王の菩提を弔うために建てられた山房(のちの金鍾山寺)である。741年(天平13年)に国分寺・国分尼寺を建てる詔が出されると、この寺は大和国の国分寺(金光明寺)に格上げされた。国分寺の中心となった東大寺は、天下の泰平と人びとの幸せを祈る場であると同時に、仏教の教えを研究し学僧を育てる寺でもあった。
東大寺は、聖武天皇の時代を穏やかではなかったと説明している。権力争い、光明皇后の兄弟たちの命を奪った天然痘の流行、九州での反乱と、10年以上にわたって大きな出来事が続いた。東大寺の見方では、天皇はこうした世を癒やし、国の安泰と人びとの幸福をはかるには仏教によるほかないと考え、仏教への傾斜を強めたという。
743年(天平15年)10月15日、天皇は紫香楽宮で、金銅の盧舎那仏をつくるという詔を出した。詔は、動物も植物も、生きとし生けるものがともに栄えることを願っている。
同時に、心からの協力を求めた。一枝の草、一握りの土でも持ち寄って造立を助けたいという人がいれば許すこと、役人がこれを口実に人びとから無理に取り立ててはならないことも命じている。
大仏の鋳造
745年(天平17年)に都が平城京に戻ると、同年8月23日、東大寺の前身である金鍾山寺の寺域で、大仏の工事が始まった。大仏の本体は3年にわたり8回に分けて鋳造され、749年(天平勝宝元年)10月24日に完成した。大仏殿の建築は747年に始まって751年に完成し、752年3月には大仏の鍍金(金めっき)が始まった。
752年(天平勝宝4年)4月9日、盛大な開眼供養会が行われた。この大事業は、多くの人の力によって実現した。
僧の行基は人びとの寄進と協力を集め、良弁は初代の別当(寺の長)を務めた。そのため東大寺は、聖武天皇・行基・良弁と、開眼の導師を務めたインドの僧・菩提僊那の4人による「四聖建立の寺」とも呼ばれる。
1180年の焼失と重源
855年(斉衡2年)には早くも、大地震で大仏の頭部が落ち、修復された。
平安時代の末になると、東大寺は荘園をめぐって平氏と対立するようになった。1180年(治承4年)12月、平重衡の軍勢が南都の寺院を攻め、その際の火災で大仏殿をはじめ東大寺の大半が焼けた。
奈良国立博物館は、その被害を次のように説明している。大仏殿は焼け落ち、大仏は大きく壊れ、多くの堂塔が中に安置されていた仏像とともに灰になった。興福寺も大きな被害を受け、同寺の年表には、12月28日に全焼したと記されている。
再建は翌年に始まった。1181年(養和元年)、61歳の僧・重源が勧進職(再建の資金集めを担う役)に任じられ、後白河法皇や源頼朝の援助を受けながら、20年以上を復興にささげた。
宋の鋳物師・陳和卿の協力で大仏の頭部や左手を補修し、1185年(文治元年)に改めて開眼供養が行われた。周防国(今の山口県)が東大寺の造営料所(造営の費用をまかなう国)に当てられてから工事は急速に進み、1195年(建久6年)に大仏殿が完成した。
今の南大門も、このときの再建である。1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)、門内に安置する一対の金剛力士像とともに完成した。像の高さはいずれも8.4メートル弱で、運慶・快慶らの仏師がわずか69日間でつくり上げた。
奈良国立博物館によれば、この復興の中から、運慶・快慶ら慶派の仏師による写実的で躍動感のある鎌倉彫刻が生まれ、建築では大仏様と呼ばれる新しい様式が開花した。1203年には東大寺の総供養が行われた。
1567年の焼失と公慶
1567年(永禄10年)、三好・松永の両勢力の戦いの中で、大仏殿をはじめ東大寺のほとんどが再び焼けた。焼け残ったのは、二月堂・法華堂・南大門・転害門・正倉院・鐘楼など、わずかな建物だけだった。奈良国立博物館によれば、このとき大仏の頭部も溶けてしまった。
世は戦国時代で、簡単な修理しかできなかった。大仏には、木に銅板を張った仮の頭部が付けられた。上にかけられた仮屋もやがて大風で倒れ、奈良国立博物館によれば、大仏は大仏殿のないまま100年以上を過ごした。
雨ざらしの大仏を見て再興を決意したのが、僧の公慶(1648〜1705年)である。1684年(貞享元年)、江戸幕府から全国で勧進を行う許可を得た。
1686年から大仏の頭部と台座の蓮弁18枚が鋳造し直され、1692年(元禄5年)に開眼供養が行われた。公慶は続いて大仏殿の再建に取りかかったが、その完成を見ることなく、1705年(宝永2年)に58歳で亡くなった。
資材を集めるのも大変だった。奈良県は『公慶上人年譜』をもとに、屋根を支える大きな梁には、当時は薩摩藩領だった今の宮崎県の白鳥神社にあった赤松を使ったと紹介している。木は陸路で海まで運ばれ、船で神戸へ、さらに淀川・木津川をさかのぼって奈良へ運び込まれたという。
新しい大仏殿は1709年(宝永6年)に落慶供養を迎えた。資金が足りず、間口は、それまでの大仏殿の11間(約88メートル)から7間へ、およそ6割に縮められた。
ただし高さと奥行きは創建時のままである。奈良国立博物館は、大仏の復興と大仏殿の再建によって奈良は全国から大勢の参詣者を迎えるようになったとし、今日の観光都市・奈良の基礎を築いたのは公慶だとも言えると述べている。
今日の大仏
今の大仏殿は、東西57.012メートル、南北50.480メートル、高さ48.742メートルで、東大寺は世界最大級の木造建造物としている。1906年から1912年にかけて解体修理が行われ、鉄骨による補強がなされた。さらに1973年から1980年にかけても大修理が行われた。
大仏自体も、さまざまな時代の部分からできている。東大寺によれば、今の大仏の顔と頭部は、江戸時代の再興のときに新しくつくり直されたものである。
よく言われる螺髪(頭の巻き毛)の数「966個」は奈良時代の頭部についての数字である。東京大学生産技術研究所の研究グループによるレーザー計測では、今の頭部にはもともと492個の螺髪が付けられていたと推定されている。
二度の焼失を免れたものもある。大仏殿の前の八角燈籠は東大寺創建当初のもので、透かし彫りの扉や面には、楽器を奏でる音声菩薩や雲の中を駆ける獅子が表されている。
東大寺は、1998年12月に世界遺産一覧表への記載が決まった「古都奈良の文化財」を構成する8つの資産の一つである。そして今も信仰の場であり続けている。二月堂の修二会をはじめとする伝統的な法要が受け継がれ、毎年、国内外から多くの人が参詣に訪れる。
訪れられる場所
東大寺は奈良市にある。大仏殿と八角燈籠のほか、南大門と金剛力士像を見ることができる。
公慶が重源をたたえて建てた俊乗堂には、国宝の重源上人坐像が安置されている。堂内の公開は年に数日に限られるので、東大寺の公式サイトで確かめてほしい。
龍松院の前から大仏殿の北東の角へ抜ける小道「公慶道」の両側に並ぶ杉や桧は、奈良県によれば、のちの修理で大木に困らないよう公慶が植えたものだという。鐘楼の梵鐘は、東大寺によれば大仏開眼の752年に鋳造されたといわれ、重さは26.3トンある。
拝観時間や拝観料は変わることがあるため、出かける前に東大寺の公式サイトで確かめてほしい。
出典
- History of Tōdai-jiTōdai-ji
- Tōdai-ji in the Nara PeriodTōdai-ji
- Great Buddha Hall (Daibutsuden)Tōdai-ji
- 大仏殿Tōdai-ji (東大寺)
- Tōdai-ji Frequently Asked QuestionsTōdai-ji
- 12-14th century (History of Tōdai-ji)Tōdai-ji
- 17-18th century (History of Tōdai-ji)Tōdai-ji
- 19th century – (History of Tōdai-ji)Tōdai-ji
- 東大寺の歴史Tōdaiji (official site)
- 南大門Tōdaiji (official site)
- 銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)Agency for Cultural Affairs, Government of Japan
- 大勧進 重源―東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出―(特別展、2006年)Nara National Museum
- 東大寺公慶上人(特別展)Nara National Museum
- 復興への願いがつながる「鐘楼ヶ丘界隈」(ますます訪ねたくなる東大寺)Nara Prefecture
- 興福寺の歴史(年表・略史)Kōfukuji (official site)
- 「古都奈良の文化財」の概要Nara City
- Calendar History 2 — The Japanese CalendarNational Diet Library
- 鐘楼Tōdai-ji (東大寺)
- 俊乗堂Tōdai-ji (東大寺)