兵庫県西部の姫路の町を見下ろして、姫路城がそびえている。白い壁の外観から「白鷺城」とも呼ばれる城である。いま建っている建物は、城主の池田輝政が1601年から1609年にかけて築いたものだ。
姫路城は1993年(平成5年)12月に世界遺産に登録された。姫路市によれば、奈良の法隆寺とともに、日本で初めての世界文化遺産である。この記事では、丘の上の砦が今の白い城になるまでと、その城が400年にわたって守られてきた歩みをたどる。
姫山の砦
姫路城は、姫山と鷺山という二つの低い丘に築かれている。文化庁の解説によれば、丘の北・東・西の三方は急な崖で、南はややなだらかになり、二つの山のあいだには浅く広い谷がある。
解釈が分かれる
城の始まりについては、確かなことは分かっていない。姫路市と兵庫県立歴史博物館は、1333年(元弘3年)に赤松則村(円心)が姫山に初めて砦を構えたとされ、1346年に赤松貞範が姫山に城を築いたとされる、と紹介している。
16世紀には、城は黒田氏が預かっていた。博物館の年表によれば、1561年(永禄4年)に黒田重隆・職隆の父子が城を改修した。1580年(天正8年)には黒田孝高が城を羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に差し出した。
秀吉は3層の天守を築いた。姫路市はこれを1580年とし、翌年に完成したとする。博物館は天守を築いた年を1581年としている。
石垣には、古い石も転用された。博物館によれば、秀吉の天守の裏込めには、1535年(天文4年)の銘がある一石五輪塔が使われていた。古墳の石棺の一部や、信仰のために造られた石塔なども、数多く築城の石材に転用された。
中には物語をもつ石もある。乾小天守の下の石垣には、半分に割った古い石臼がはめ込まれている。「姥が石」と呼ばれるこの石について、博物館と姫路市は、秀吉が石集めに苦労していたとき、貧しい老婆が差し出したという言い伝えを紹介している。
池田輝政の大改築
1600年(慶長5年)、池田輝政が姫路の城主となった。博物館によれば、輝政には播磨一国52万石余りが与えられた。輝政は徳川家康の娘婿でもあった。
輝政は1601年(慶長6年)に城の大改築を始めた。文化庁の解説によれば、古い城を廃して新たに城を建てたという。1609年(慶長14年)、大天守が完成した。
城の中心は、五重の大天守と、三重の小天守3つを渡櫓でつないだ天守群である。大天守の内部は地階を含めて7階の構造で、東と西の2本の大柱が、中央を貫いて最上階の床下まで伸びている。
天守のまわりでは、姫山の頂上に本丸が置かれ、鷺山の高いところに西ノ丸が設けられた。本丸の北東のふもとから始まる内堀は、らせん状に内側の城を取り巻いている。その外側には武家屋敷が、さらにその外には町人の住む町が広がっていた。
城づくりは輝政で終わらなかった。1617年(元和3年)に城主となった本多忠政は、三の丸や西の丸などを増築した。姫路市によれば、今見られる城の全容が整ったのはこの年である。
博物館によれば、西ノ丸は、忠政の子の忠刻と、その妻で徳川秀忠の娘である千姫のために整えられた。
守りのための城
優美に見える姫路城だが、その造りは守りのためのものである。博物館によれば、天守にたどり着くには、いくつもの門を通り抜けなければならない。正面にあたる菱の門を過ぎると、門は「い・ろ・は」の順に名付けられている。
門の形はさまざまだ。石垣の中のトンネルを通る門もあれば、いざというときに土砂で埋めてふさぐことを想定した門もある。
瓦屋根をのせた分厚い土塀は、通路を折り曲げ、門の前の空間を狭めている。塀には狭間と呼ばれる穴が開いている。丸・三角・正方形は鉄砲用、長方形は弓矢用で、博物館によれば、姫路城では鉄砲用と弓矢用の比率が2対1である。
石垣の隅の上には「石落」が張り出している。大天守の大きな格子窓の下にも、石垣の真下にいる者をねらう石落が巧みに隠されている。
姫路城の城主は、13氏48代にわたった。
城が白いわけ
城の白さは漆喰によるものである。文化庁の解説によれば、「白鷺城」という別名は、白壁で統一された優美な外観からきている。
漆喰が塗られているのは壁だけではない。博物館は、瓦の継ぎ目に丁寧に塗られた漆喰が、建物の白さをいっそう際立たせていると説明している。城内には漆喰塗りの塀が多く、ある門の内側に残る土を突き固めた塀は特に珍しいという。
ただし、白い漆喰はそのままでは白さを保てない。姫路市の解説文によれば、1964年に完了した昭和の修理で漆喰壁は塗り直されたが、2000年代の初めには再び灰色になっていた。
城を守り続ける
修理は近代よりずっと前から行われてきた。博物館によれば、1656年(明暦2年)に城主の榊原忠次が2本の大柱の根元を修理した。1743年(寛保3年)には松平明矩が筋交いと支柱を入れ、天守の傾きが止まった。
姫路市によれば、城が東南に傾いていたことは、解体修理で確かめられている。本当の原因は、東と東南の隅の石垣が沈んだことだった。
江戸幕府が終わると、城は1869年(明治2年)に国のものとなった。1873年には、陸軍省が管理して残す58の城の一つとされた。1878年に陸軍の中村重遠大佐が姫路城と名古屋城の保存を願い出たことで、修理の費用があてられることになった。
1910年(明治43年)には大きな修理が行われ、翌年に完成した。1912年には本丸・二の丸より内側が姫路市に貸し下げられ、一般に公開された。
法律による保護も進んだ。1928年に城跡が史跡に、1931年に天守が国宝に指定された。1951年には新しい法律のもとで改めて国宝に指定され、1956年に城跡は特別史跡となった。
1956年(昭和31年)、国の費用で「昭和の大修理」が始まった。博物館によれば、天守をすべて解体し、コンクリートの基礎を造ったうえで、新しい木材も加えて組み直す大工事だった。1959年には新しい西大柱となる檜が運び込まれ、工事は1964年に完了した。
最も新しい「平成の修理」は、2009年から2015年まで行われた。姫路市の解説文によれば、大天守の壁と屋根は、麻の繊維・石灰・海藻のりなどを混ぜた伝統的な材料で塗り直された。
屋根瓦はすべていったん下ろして調べ、約8割を再び使った。耐震補強も施された。
世界遺産の城
姫路市は、1993年に世界遺産に登録された理由を次のように説明している。美しさの完成度が日本の木造建築の最高の位置にあること。そして、17世紀初めの城郭建築の最盛期の天守群、櫓、門、土塀、石垣、堀がよく残り、守りに工夫した日本独自の城の構造を最もよく示していることである。
博物館によれば、当時の天守が今に残る城は、日本に12しかなく、姫路城はその一つである。姫路市の解説文は、姫路城が日本のほかのどの城よりも昔の姿をとどめているとしている。博物館によれば、門15棟、塀32棟、櫓27棟が国の文化財に指定されている。
訪れられる場所
姫路城跡の管理団体は姫路市である。城内では大天守に登って大柱を見られるほか、「い・ろ・は」の門や狭間の開いた塀、「姥が石」などを見て回れる。開城時間や入城券は、姫路城の公式サイトで確かめてほしい。
特別史跡の範囲は、おおむね中堀の内側で、城のまわりの武家屋敷があった地区も含まれる。堀・土塁・石垣の多くは、元の姿をとどめている。
兵庫県立歴史博物館は、1983年に姫路城跡の中に開館した。城の展示室では、大天守の東大柱の根元部分や、天守内部の模型が展示されている。訪れる前に、博物館の公式サイトで確かめてほしい。
出典
- 姫路城の歴史Himeji City (Himeji Castle)
- 姫路城跡Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 世界文化遺産・国宝姫路城Himeji City (Himeji Castle)
- 姫路城(世界遺産)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 姫路城年表(ひょうご歴史ステーション 城郭研究情報)Hyogo Prefectural Museum of History (兵庫県立歴史博物館)
- 姫路城 - 天守(ひょうご歴史ステーション 城郭研究情報)Hyogo Prefectural Museum of History (兵庫県立歴史博物館)
- 姫路城 - 堀・瓦(塀)(ひょうご歴史ステーション 城郭研究情報)Hyogo Prefectural Museum of History (兵庫県立歴史博物館)
- 姫路城 - 門(ひょうご歴史ステーション 城郭研究情報)Hyogo Prefectural Museum of History (兵庫県立歴史博物館)
- 姫路城 - 石垣(ひょうご歴史ステーション 城郭研究情報)Hyogo Prefectural Museum of History (兵庫県立歴史博物館)
- Rebirth of the White Heron Castle / いま白鷺の"天守閣"がよみがえる (Japan Tourism Agency multilingual commentary database)Himeji City (associated body named on the page), published in the Japan Tourism Agency multilingual commentary database
- Himeji Castle / 姫路城 (Japan Tourism Agency multilingual commentary database)Himeji City (associated body named on the page), published in the Japan Tourism Agency multilingual commentary database
- Himeji Castle Historic Preservation Area / 特別史跡姫路城跡 (Japan Tourism Agency multilingual commentary database)Himeji City (associated body named on the page), published in the Japan Tourism Agency multilingual commentary database