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Hiroshima: The Atomic Bomb and Passing On Its Memory

広島―原爆と記憶の継承

1945年8月6日午前8時15分、広島の上空で原子爆弾が爆発した。この記事では、あの朝のできごと、広島市が伝える被害、「平和記念都市」としての復興、そして被爆者の体験がいまどのように受け継がれているかをたどる。

約6分 · 出典 23件

青空の下の原爆ドーム。窓の抜けたれんがとコンクリートの壁と、骨組みだけになったドームが、黒い鉄の柵の向こうに見える。手前にはピンクのツツジが咲いている
ほぼ被爆後の姿のまま保存されている原爆ドーム。柵の外から撮影(2023年4月)。Dudva, 2023-04 · Wikimedia Commons · Creative Commons CC0 1.0 Universal Public Domain Dedication · 出典 · 縮小して掲載

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下された。広島市は、これを人類史上初めての原子爆弾の投下としている。その3日後の8月9日には、長崎にも原子爆弾が投下された。

この記事では、あの朝のできごと、広島市と資料館が伝える被害の姿、「平和記念都市」としての復興、そして被爆者の体験がいま次の世代へどのように受け継がれているかをたどる。

戦時下の広島と8月6日の朝

広島市が発行する広島平和記念資料館の学習ハンドブックによれば、広島は明治時代から「軍都」として発展し、日清戦争・日露戦争では軍隊を海外へ送り出す基地となった。

同じハンドブックは、アメリカでは軍人と科学者でつくる委員会が投下の目標都市を検討し、1945年8月2日に広島が優先順位の1番目とされたと説明している。

広島市の記述によれば、その朝は快晴だった。午前7時9分に警戒警報のサイレンが鳴ったが、このときはアメリカ軍機1機が高い空を通過しただけで、警報は7時31分に解除された。人々は防空壕や避難場所から家に戻って遅い朝食をとったり、仕事に出かけたりしていた。

原子爆弾は投下から43秒後、地上約600メートルの上空で爆発した。爆発した場所の真下にあたる爆心地は島病院で、その建物は玄関まわりの円形の窓と丸い柱だけを残して崩れた。

広島市によれば、火球の中心の温度は摂氏100万度を超え、爆心地周辺の地表面の温度は3,000〜4,000度に達した。強烈な熱線と放射線が四方へ放たれ、膨張した空気は超高圧の爆風となった。この3つが複雑に作用して、大きな被害をもたらした。

失われた命と壊滅した街

投下当時、広島市には約35万人がいたと考えられている。住民や軍人のほか、通勤や建物疎開作業への動員などで周辺の町村から市内に入っていた人も含まれる。

犠牲になったのは日本人だけではない。広島市は、アメリカ生まれの日系アメリカ人、ドイツ人の神父、東南アジアからの留学生、当時日本の植民地だった朝鮮と台湾の人々、中国大陸の人々、そしてアメリカ兵の捕虜など、さまざまな国籍の人がいたことを挙げている。

解釈が分かれる

原爆で亡くなった人の正確な数は、今も分かっていない。広島市は、放射線による急性障害がひとまずおさまった1945年12月末までに、約14万人が亡くなったと推計している。広島県も、1945年末までに広島市の人口の約40%にあたる人々が亡くなったと推定している。いずれも推計であり、正確な数ではない。

広島市によれば、爆心地から1.2キロメートルの地点では、その日のうちにほぼ半数の人が亡くなった。それより爆心地に近い地域では、80〜100%の人が亡くなったと推定されている。

爆心地から2キロメートル以内の建物は、ほとんどすべてが壊され、焼き尽くされた。1946年度の市勢要覧によると、被爆前の建物7万6,327件のうち、5万1,787件が全壊または全焼した。広島県は、市内の建物の約92%が倒壊・焼失したとしている。

原子爆弾が通常の爆弾と違ったのは、大量の放射線を出したことである。爆心地から約1キロメートル以内にいた人は初期放射線で致命的な影響を受け、その多くが数日のうちに亡くなった。

けががないように見えた人が、月日がたってから発病して亡くなった例も多い。肉親を捜すため、また救護のために後から市内に入った人の中にも、発病したり亡くなったりする人がいた。

白血病は被爆の2〜3年後から増え始め、7〜8年後に最も多くなった。がんが増え始めたのは被爆の5〜10年後ごろと考えられている。

広島市は、放射線が年月を経て引き起こす影響はまだ十分に解明されておらず、調査や研究が今も続いているとしている。また、原爆は家族から肉親や知人を奪い、人々の社会生活そのものを破壊したとも記している。

平和記念都市としての復興

元安川と本川にはさまれた中島地区は、江戸時代から広島有数の繁華街だった。爆心地のすぐそばにあったこの地区は、一瞬で壊滅した。1946年、広島市の復興計画の原案に、ここを公園として整備することが盛り込まれた。

広島市によれば、復興は資金難などのためになかなか進まなかった。この状況を変えたのが1949年である。同年5月、国会で広島平和記念都市建設法案が可決された。

憲法の規定により、この法律には住民投票での賛成が必要だった。7月7日の住民投票では賛成71,852票、反対6,340票となり、法律は1949年8月6日に公布・施行された。広島市は、これを我が国最初の特別法としている。

同じ年、平和記念公園の設計競技には145点の応募があった。1等に選ばれたのは、当時東京大学助教授だった丹下健三を中心とする4人のグループの案である。

丹下が設計した原爆死没者慰霊碑は、1952年8月6日に除幕され、中には原爆死没者名簿が納められた。資料館の本館は1955年8月6日に完成し、同じ月に開館した。本館は2006年、戦後の建築として初めて国の重要文化財に指定された。

文化庁は、丹下の設計について、平和大通りから資料館のピロティ、慰霊碑のアーチを経て原爆ドームへと延びる線を公園の軸とし、視覚と慰霊の行為を強く結び付けようとしたものと説明している。公園の中心部は2007年に国の名勝に指定された。

原爆ドーム

今「原爆ドーム」と呼ばれている建物は、チェコの建築家ヤン・レツルの設計により、広島県物産陳列館として1915年に開館した。1945年当時は広島県産業奨励館と呼ばれていたが、館の業務は1944年3月に廃止されていた。

建物は爆心地から北西へ約160メートルの距離にあり、大きく壊れて全焼した。館内にいた約30人の職員は全員即死した。

爆風がほぼ真上から加わったため、ドームの中心部は倒壊を免れたと考えられている。「原爆ドーム」という呼び名は、市民の間から自然に生まれたといわれる。

ひび割れや小さな崩落が続いたため、1962年には周囲に金網が張られた。1966年に広島市議会が保存を決議し、1967年の第1回保存工事は全額を募金でまかなった。その後も保存工事が重ねられ、最近では2020年から2021年にかけて行われた。

原爆ドームは1996年12月に世界遺産に登録された。広島市は、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える平和記念碑としている。

同じ月には、同じ広島県の厳島神社も世界遺産に登録された。原爆ドームは2025年に特別史跡に指定された。

被爆者の記憶を受け継ぐ

被爆者の高齢化に伴い、被爆体験を語ることのできる人は少なくなってきている。広島市は2012年度(平成24年度)から、被爆者の体験や平和への思いを受け継いで伝える「被爆体験伝承者」の養成を始めた。

研修はおよそ2年間である。被爆の実相や話し方の講義を受け、被爆者から直接体験を受け継ぎ、講話の原稿を作って講話の実習を行う。

2022年度(令和4年度)からは、自分の家族の被爆体験を受け継いで伝える「家族伝承者」の養成も始まり、2023年4月に最初の7人が誕生した。2026年4月1日の時点で、伝承者264人、家族伝承者48人が活動している。

広島平和記念資料館では、開館日には毎日、伝承者による45分程度の講話が開かれ、英語の回もある。予約は不要で、無料である。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、被爆者や伝承者を全国の学校や自治体などに無料で派遣している。

訪れられる場所

広島平和記念資料館は平和記念公園の中にあり、本館は2019年4月にリニューアルオープンした。開館時間や講話の時間は、資料館の公式サイトで確認してほしい。

原爆ドームは、公園の軸線の先に建っている。1962年から内部への立ち入りは禁止されており、金網の外から見学する。

同じ中島町にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、原爆で亡くなった人の名前と遺影を登録し、被爆体験記を集めている。訪れる前に公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 原爆被害の概要Hiroshima City
  2. 死者数Hiroshima City
  3. 広島平和記念資料館 学習ハンドブック 原爆被害の実相Hiroshima City (Hiroshima Peace Memorial Museum)
  4. 広島の原爆と復興についてHiroshima Prefecture (Hiroshima for Global Peace)
  5. 広島平和記念資料館 学習ハンドブック なぜ原爆が投下されたか?Hiroshima City (Hiroshima Peace Memorial Museum learning handbook)
  6. 建物の被害Hiroshima City (広島市 市民局国際平和推進部 平和推進課)
  7. 放射線による被害Hiroshima City (広島市 市民局国際平和推進部 平和推進課)
  8. 後障害Hiroshima City (広島市 市民局国際平和推進部 平和推進課)
  9. Web展示会「平和記念公園ができるまで」Hiroshima City
  10. 平和記念公園Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  11. Web展示会「復興の礎として 平和記念都市建設法と広島」全国初の住民投票と特別法制定Hiroshima City
  12. 広島の歴史Hiroshima City
  13. 施設概要Hiroshima Peace Memorial Museum (広島平和記念資料館)
  14. 原爆ドーム(世界遺産)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  15. 広島県の国指定文化財一覧(PDF)Hiroshima Prefecture
  16. 原爆ドームの保存工事について教えてほしい(FAQID-5593)Hiroshima City
  17. 原爆ドームはいつ世界遺産に認定されたんですか。Hiroshima City
  18. 厳島神社(世界遺産)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  19. 被爆体験伝承者養成事業Hiroshima City
  20. 「伝承者」の存在Hiroshima Prefecture (Hiroshima for Global Peace)
  21. 【毎日実施】被爆体験伝承講話/家族伝承講話 定時開催Hiroshima Peace Memorial Museum (広島平和記念資料館)
  22. 被爆体験伝承者などの派遣Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims
  23. 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 トップページHiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims (国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)