水俣病は、工場から排出されたメチル水銀に汚染された魚や貝を食べることで起きる、神経系の中毒性の病気である。うつる病気ではなく、遺伝することもない。妊娠中に汚染された魚を食べた母親から、胎盤を通じて胎児がメチル水銀の影響を受けることもあり、胎児性水俣病の患者も生まれた。
1956年5月1日、熊本県南部の水俣市で、水俣病は公式に確認された。この記事では、原因の究明、遅れた対応、患者たちの裁判、そして水俣の町が教訓をどう伝えているかをたどる。
海辺の工場の町
水俣市によれば、のちのチッソとなる会社は1908年に創立され、小さな村だった水俣は会社とともに成長し、熊本県でも有数の工業都市となった。工場は1932年から1968年まで、化学製品やプラスチックの原料となるアセトアルデヒドをつくる際に、触媒として無機水銀を使っていた。その過程で生じたメチル水銀は大量に海へ流され、水俣市立水俣病資料館によれば、1966年までほとんど処理されないままだった。
メチル水銀は、食物連鎖を通じて魚や貝に蓄積された。汚染された魚は見た目には普通の魚と変わらず、それを多く食べた人々が発病した。
水俣市によれば、1950年ごろから水俣湾一帯で貝が死んだり魚が浮いたりするようになり、海辺では猫が狂い死にする異変も見られた。
1956年の公式確認
1956年4月、口がきけず食事もできない月浦地区の少女が、チッソ水俣工場の附属病院に入院した。5月1日、同病院の院長は、脳症状を示す原因不明の病気が発生し患者が入院したことを、水俣保健所に報告した。環境省は、これを「水俣病公式確認」としている。
国立水俣病総合研究センターによれば、公式に報告された最初の患者は、5歳と2歳の姉妹だった。その年のうちに54人の患者が確認され、そのうち17人がすでに亡くなっていた。その後の調査で、1953年に発症した女児が第一号の患者とされた。
当初、原因は分からなかった。水俣市の記録によれば、この病気は伝染病として恐れられ、患者の家は消毒され、患者は近所づきあいを断られた。
原因の究明と遅れた対応
1957年3月までに、厚生省の研究班は、水俣湾でとれた魚介類を食べたことによる中毒を疑うようになった。熊本県が食品衛生法を適用して漁を禁じられるかを問い合わせると、厚生省は、その地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠がないとして、適用できないと答えた。
1958年9月、チッソは、水俣湾に流していたアセトアルデヒド製造工程の排水を、いったん「八幡プール」にためてから水俣川の河口へ流すように変えた。翌年3月以降、河口付近とその北側の地域で新たな患者が発生した。
1959年7月、熊本大学の研究班は、原因物質は水銀化合物、とくに有機水銀だろうと考えるに至ったと報告した。
1959年12月、チッソは排水の浄化装置を完成させたが、環境省によれば、この装置にはメチル水銀を取り除く効果はなかった。12月30日、チッソと水俣病患者家庭互助会は、いわゆる見舞金契約を結んだ。この契約には、将来、病気の原因が工場排水だと決まっても新たな補償金は一切求めないという内容が含まれていた。
この契約による支払いは、生存者の年金が大人10万円、未成年者3万円などだった。水俣市の冊子は、当時としても極端に低い額だったとしている。環境省は、こうした動きによって、水俣病の問題があいまいなまま社会的に終息させられてしまったとしている。
チッソがアセトアルデヒドの製造を止めたのは、1968年5月のことだった。同じ年の9月26日、政府は、熊本の水俣病の原因はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造の設備内で生成されたメチル水銀化合物だとする見解を発表した。
環境省は、行政は1959年11月ごろには、原因の有機水銀化合物がチッソから排出されていた可能性が高いことを認識できる状態にあったのに、被害の拡大を防ぐことができなかったとしている。その背景には、地元の経済だけでなく日本の高度経済成長への影響を心配する考えが働いていたと考えられる、とも述べている。
第一次訴訟と1973年の判決
1969年6月14日、28世帯112人の患者と家族が、チッソを相手に熊本地方裁判所へ損害賠償を求める訴えを起こした。
1973年3月20日、判決は原告の勝訴となり、確定した。水俣市によれば、判決は、チッソ水俣工場が合成化学工場として求められる注意義務を怠ったと指摘した。また判決は、1959年の見舞金契約を公序良俗に反するとして無効とした。
その後の交渉を経て、1973年7月9日に補償協定が結ばれた。認定患者には、1,600万円・1,700万円・1,800万円の3ランクの一時金に加え、医療費や年金などが支払われることになり、協定の後に認定された患者も、希望すれば対象となることが定められた。
救済と国の責任
患者の認定は、1969年12月に始まった法律に基づく制度で行われている。環境省は、1977年に示された認定の判断条件について、「狭い」と批判する人々もいると記している。
1995年の政治解決では、一定の条件を満たす人に企業が260万円の一時金を支払い、国と県は遺憾の意など何らかの責任ある態度を示すことになった。11,152人が医療手帳の対象となった。同じ年の12月の内閣総理大臣談話は、政府はその時々にできる限りの努力をしてきたと考えるが、結果として原因の確定や企業への的確な対応に長期間を要したことを率直に反省しなければならないと述べた。
2004年10月15日、政治解決の後もただ一つ続いていた関西訴訟で、最高裁判所は、国と熊本県が1960年1月以降、規制の権限を使って被害の拡大を防がなかったことについて責任を認めた。
同じ日、環境大臣は、被害の拡大を防げなかったことを真摯に反省し、長年にわたり苦しみを強いられてきた多くの人々に対し、誠に申し訳ないという気持ちでいっぱいだと述べた。
2009年7月には、被害者の救済のための特別措置法が成立した。熊本県と鹿児島県では、2012年7月までに45,933人が救済を申請し、36,361人が対象とされた。
裁判は今も続いている。熊本県と環境省の資料によれば、2023年には大阪地方裁判所が原告128人の請求を認めた。2024年には熊本地方裁判所が原告144人の請求を退けた。このうち25人については水俣病と認めたうえで、20年の除斥期間を適用した。どちらの判決も控訴された。
2024年12月末までに、熊本・鹿児島・新潟の3県で3,000人が水俣病と認定されている。そのうち熊本県は1,791人である。3,000人のうち、存命の人は304人である。
差別と「もやい直し」
環境省は、原因企業と被害を受けた人々が同じ地域で暮らすなかで、地域全体が水俣病の問題に正面から向き合いにくかったこと、水俣の人々がよその土地で差別を受けたことを記している。水俣市は、認定を申請した人の中に「ニセ患者」がいるという根も葉もないうわさが流されたことも伝えている。
1990年から1998年にかけて、熊本県と水俣市は、地域の絆を取り戻すための事業を進めた。そのなかで「もやい直し」の取り組みが広がった。「もやい」とは船と船をつなぎとめる綱や共同作業のことで、水俣病と正面から向き合い、対話し、協働することを意味している。
1992年からは、毎年5月1日に水俣病犠牲者慰霊式が行われている。2010年には、鳩山由紀夫首相が、歴代の首相として初めて参列した。
2013年10月、熊本で開かれた外交会議で「水銀に関する水俣条約」が採択され、2017年8月16日に発効した。水俣市は、条約の前文が水俣病の重要な教訓に触れていることを紹介している。
訪れられる場所
水俣市立水俣病資料館*(水俣市)。1993年1月に開館し、パネル・写真・映像で水俣病を紹介している。来館者は年間約4万人で、入館は無料。
患者やその家族、関わりのある人から話を聞く語り部講話は、10人以上の団体が予約して申し込める。同じ丘には、国立水俣病情報センターと熊本県環境センターもある。開館時間は公式サイトで確認してほしい。
エコパーク水俣*。1977年から1990年にかけて、水俣湾の水銀を含むヘドロ約150万立方メートルがしゅんせつ・封じ込めされ、58ヘクタールの埋立地が生まれた。
今は公園になっている。2006年からは、ここにある水俣病慰霊の碑の前で慰霊式が行われている。
出典
- 平成18年版環境白書 第2節 水俣病の発生と拡大Ministry of the Environment
- 水俣病の教訓と日本の水銀対策Ministry of the Environment
- 水銀Q&ANational Institute for Minamata Disease (Ministry of the Environment)
- 水俣病問題に関する年表Kumamoto Prefecture
- 水俣病10の知識Minamata City (Minamata Disease Municipal Museum)
- 水俣病-その歴史と教訓-2022Minamata City (Minamata Disease Municipal Museum)
- 来館案内(水俣病資料館)Minamata City (Minamata Disease Municipal Museum)
- 水俣病関西訴訟最高裁判決に係る「環境大臣談話」(平成16年10月15日)Ministry of the Environment
- 水俣病特措法に基づく救済措置に係る判定結果Ministry of the Environment
- 水銀に関する水俣条約の概要Ministry of the Environment
- 「水俣病に関する社会科学的研究会」報告書 前書き(内閣総理大臣談話 平成7年12月15日を収録)National Institute for Minamata Disease (Ministry of the Environment)
- 参考資料4「ノーモア・ミナマタ訴訟の各地裁判決について」(令和6年9月)Ministry of the Environment (Special Disease Countermeasures Office, Planning Division)
