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Mount Fuji: A Sacred Mountain and Its Pilgrims

富士山―信仰の山と巡礼

富士山は長いあいだ信仰の山でもあった。遠くから拝む信仰、山頂をめざした修行者、江戸時代の富士講と御師、そして明治の変化までをたどる。

約6分 · 出典 17件

苔むした石灯籠と高い杉の木が並ぶ砂利の参道。その先に大きな赤い鳥居と社殿があり、小さく数人の姿が見える
富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社の参道(2019年8月撮影)。江戸村のとくぞう, 2019-08-26 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

標高3,776メートルの成層火山、富士山は、山梨県と静岡県の境にそびえている。いまは日本の象徴として知られるが、長いあいだ信仰の山でもあった。文化庁は、富士山が古くから噴火を繰り返したことから、霊山として多くの人々に畏敬されてきたと説明している。

2013年、富士山は自然遺産ではなく文化遺産として、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界遺産一覧表に記載された。この記事では、その信仰の側面を追う。遠くから山を拝む信仰、山頂をめざした修行者、江戸時代に広がった富士講、そして近代に起きた変化である。

火を噴く山を遠くから拝む

山梨県立富士山世界遺産センターによれば、富士山の噴火の最古の記録は8世紀にさかのぼる。このころの信仰は、ふもとから山頂を仰ぎ見て拝む「遥拝」という形だった。人々は火の神・浅間大神に火を鎮めるよう祈るため、ふもとの甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)に浅間神社を創建した。

南麓の富士山本宮浅間大社について、文化庁は、山頂の火口の底を住まいとする浅間大神を遥拝し、噴火を鎮めるために創建された神社だと説明している。各地に数多くある浅間神社の総本宮とされる。9世紀中ごろ、京都の朝廷はこの神社に神階を与え、それを順に高めていくことで浅間大神をなだめ、噴火を鎮めようとした。

解釈が分かれる

北麓では、富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社が自らの由緒を伝えている。神社によれば、781年の噴火ののち、甲斐国の国守が占いを行い、788年に今の場所に社殿が建てられた。古代には富士山のような高い山に入ることは禁忌であり、この地は山を遠くから拝む場所だったという。

山頂をめざした修行者

山梨県の説明では、噴火活動が落ち着いた平安時代後期、富士山は日本古来の山岳信仰と密教などが結び付いた「修験道」の道場となった。修行者たちは、山頂をめざして登り拝む「登拝」を始めた。

この時代の人物として名前が挙がるのが、12世紀前半に活動した修行僧の末代上人である。山梨県は、末代が山頂に大日寺を築いたと書く。山梨県立富士山世界遺産センターは、末代が百回以上も登拝を重ね、今の静岡県にあたる地に冨士山興法寺を開いて、富士修験と呼ばれる集団を興したとしている。

文化庁によれば、興法寺(いまの村山浅間神社と大日堂)は末代上人が創建したとされる。14世紀初めには興法寺の僧、頼尊が富士山の修験者を組織し、興法寺はその中心地として発展した。

やがて一般の信者も山に登るようになる。センターは、14世紀以降、「道者」と呼ばれる庶民の信者が極楽浄土への往生を願って登拝し、彼らを案内し世話する「御師」も活発に活動したと説明する。山梨県は、庶民が修験者とともに登るようになった時期を室町時代後半としており、文化庁は、15〜16世紀に修験者に導かれた道者の登拝が増えたと書いている。

角行と富士講

解釈が分かれる

山梨県によれば、戦国時代に現れた長谷川角行が、新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされる。その名は、富士山の西麓にある洞穴「人穴」と結び付いている。

解釈が分かれる

文化庁が紹介する富士講の古文書によれば、角行は16〜17世紀にこの洞穴で、角材の端の上に1,000日立ち続けるなどの修行を行い、浅間大神の啓示を得たとされる。角行はここで亡くなったとされ、洞穴の周りには富士講の信者が建てた約230基の石碑や石塔が残っている。

角行の教えは弟子たちに受け継がれた。山梨県によれば、江戸時代中期には「富士講」として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や、富士五湖などの霊地をめぐる巡礼を行うようになった。

世界遺産委員会の言明(文化庁と山梨・静岡両県による仮訳)は、巡礼者を二つに分けている。山岳修験者に導かれた人々と、それより多かった、17世紀以降の富士講に属する人々である。長い杖を持った巡礼者は浅間神社から出発し、浅間大神の住まいとされた山頂の噴火口まで登り、その周りをめぐり歩いた。

言明によれば、18世紀以降に巡礼がさらに広まると、登山道が開かれ、山小屋が用意された。ふもとの湖や湧き水は、登山の前に冷たい水で身を清める「水垢離」に使われ、富士五湖を含む八つの湖をめぐる「八海廻り」は、多くの富士講信者にとっての儀式となった。

富士山の伏流水がわき出る8つの池、忍野八海では、1843年から池をめぐる巡礼が始まった。文化庁は、これが角行が富士山麓の湖沼で水行をしたという伝承にちなむものだと説明している。

吉田の御師

巡礼者には泊まる場所が必要だった。文化庁によれば、御師は夏に富士講の信者が登拝する際、宿泊や食事をはじめ一切の世話をし、ふだんは富士山信仰を広め、祈祷を行うことをなりわいとした。吉田の御師は、吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社の門前に、御師の家が並ぶ大きな集落をつくった。

1768年に建てられた旧外川家住宅は、現存する御師住宅で最も古い。1860年ごろ、訪れる富士講の信者が急増したため、神殿を設けた離れ座敷が増築された。

角行の教えを継ぐ人々は、神社そのものも支えた。北口本宮冨士浅間神社によれば、角行の流れをくむ村上講の村上光清が1733年から1738年にかけて社殿の大造営を行い、いまの社殿と境内の配置のほとんどはこのときに定まった。

神社のウェブサイト(日付の記載なし、2026年に確認)によれば、御師はかつて86軒を数えた。いまは約40軒が御師団に加わっているが、実際に講社を迎えて御師として活動している家は5軒だけだという。富士講はいまも、神事や夏の登拝行事を続けている。

明治以降の変化

19世紀には大きな変化が訪れた。センターによれば、富士山信仰の神道化が進み、山のあちこちに祀られていた仏像の多くが撤去された。

村山について文化庁は、1868年の神仏分離令によって興法寺が廃止され、1872年には修験道も禁じられて、修験者のほとんどが還俗した(俗人に戻った)と説明している。ただし一部の修験者の活動は1940年代まで続いた。

同じころ、女性の参詣を禁じる決まりも解かれた。山梨県によれば、明治になると女性も山頂まで登れるようになり、鉄道や道路の発達によって、さらに多くの人が山頂をめざすようになった。センターは、20世紀には国内外から多くの人が訪れ、登山の目的も多様になったとしている。

文化遺産としての富士山

富士山は自然遺産として登録されたわけではない。センターによれば、2003年、富士山は世界自然遺産の候補から外れた。

センターの年表には、2005年から世界文化遺産をめざす動きが記されている。2013年4月、イコモスは三保松原を除いて登録するよう勧告したが、同年6月22日、世界遺産委員会は三保松原を含めて登録することを決めた。

登録された資産は、山梨県と静岡県にまたがる25の構成資産からなる。登山道を含む山域、浅間神社、2軒の御師住宅、湖、湧き水、人穴などである。委員会の言明は、富士山の姿と火山活動が呼び起こした畏怖の念が、神道と仏教、人と自然を結び付ける宗教的な実践へと変わっていったと述べている。

富士山の信仰の地を訪ねる

富士河口湖町の山梨県立富士山世界遺産センターでは、2016年6月22日に南館が開館した。展示では、山頂をめざす登拝、霊地をめぐる巡拝、遠くから拝む遥拝など、富士山信仰のかたちを紹介している。

富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社は、参拝者向けに交通案内や境内の案内図を公開している(2026年時点)。両県の世界遺産協議会によれば、夏にはいまも多くの人が、山頂で御来光を拝み、噴火口の周りをめぐるために登っている。訪ねる前に、それぞれの公式サイトで最新の情報を確かめてほしい。

出典

  1. 富士山―信仰の対象と芸術の源泉(世界遺産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  2. 富士山と信仰Yamanashi Prefecture
  3. 村山浅間神社(世界遺産「富士山」構成資産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  4. 富士山の「顕著な普遍的価値の言明」(第37回世界遺産委員会決議 37 COM 8B.29 の仮訳)Fujisan World Cultural Heritage Council (富士山世界文化遺産協議会, Yamanashi and Shizuoka prefectures)
  5. 富士山の顕著な普遍的価値Fujisan World Cultural Heritage Council (富士山世界文化遺産協議会, Yamanashi and Shizuoka prefectures)
  6. 経緯(世界遺産登録までの道のり)Fujisan World Cultural Heritage Council (富士山世界文化遺産協議会, Yamanashi and Shizuoka prefectures)
  7. Home (Fujisan World Cultural Heritage Council, English)Fujisan World Cultural Heritage Council (富士山世界文化遺産協議会, Yamanashi and Shizuoka prefectures)
  8. 世界遺産登録までのあゆみYamanashi Prefectural Fujisan World Heritage Center (山梨県立富士山世界遺産センター)
  9. 信仰の対象・芸術の源泉Yamanashi Prefectural Fujisan World Heritage Center (山梨県立富士山世界遺産センター)
  10. 南館(センターについて)Yamanashi Prefectural Fujisan World Heritage Center (山梨県立富士山世界遺産センター)
  11. 富士山本宮浅間大社(世界遺産「富士山」構成資産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  12. 御師住宅(旧外川家住宅・小佐野家住宅)(世界遺産「富士山」構成資産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  13. 忍野八海(世界遺産「富士山」構成資産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  14. 人穴富士講遺跡(世界遺産「富士山」構成資産)Agency for Cultural Affairs (文化遺産オンライン)
  15. 由緒(北口本宮冨士浅間神社)Kitaguchi Hongū Fuji Sengen Shrine (北口本宮冨士浅間神社)
  16. 富士講と御師(北口本宮冨士浅間神社)Kitaguchi Hongū Fuji Sengen Shrine (北口本宮冨士浅間神社)
  17. 交通案内(北口本宮冨士浅間神社)Kitaguchi Hongū Fuji Sengen Shrine (北口本宮冨士浅間神社)