Japan Through Time

愛知県 · 平安時代後期 · 中世 · 室町時代 · 江戸時代 · 明治時代 · 近代 · 複数の時代にわたる

Seto and Tokoname: A Thousand Years of Pottery

瀬戸と常滑―千年のやきもの

日本六古窯に数えられる愛知の瀬戸と常滑は、平安時代末期からやきものを作り続け、瀬戸は施釉陶器とのちの磁器、常滑は大甕や急須、土管で知られてきた。

約7分 · 出典 13件

木の柱で支えられた暗い木造の屋根の下、斜面に沿って長く続く煉瓦造りの登窯。アーチ形の開口部があり、左側に段が続いている
2016年3月、常滑の登窯。屋根の下に窯が続く。Gryffindor, 2016-03-23 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

日本語の「せともの」は、やきものの代名詞になった言葉である。その名は、平安時代から釉(うわぐすり)をかけたやきものが作られてきた愛知県の瀬戸市に由来する。同じ愛知県の知多半島にある常滑市も、やきものの起源を平安時代末期にまでさかのぼる。

瀬戸と常滑は、どちらも「日本六古窯」に数えられる。この記事では、2つの町が何を作ってきたのか、そしてその歴史を今どこで見られるのかをたどる。

日本六古窯

文化庁の日本遺産ポータルサイトによれば、瀬戸・越前・常滑・信楽・丹波・備前のやきものは「日本六古窯」と呼ばれる。いずれも、中世から今までやきものづくりが続いている町である。

同サイトは、六古窯のうち瀬戸は釉をかけた施釉陶器、ほかの5つは釉をかけずに高い温度で焼き締めた焼締陶器だと説明している。

瀬戸―釉をかけたやきもの

愛知県によれば、瀬戸には2つの自然の恵みがあった。やきものの原料となる良質な粘土がとれ、山あいには松などの林が広がっていて、窯業の発展を支えた。

県によれば、瀬戸では平安時代末期から、中国の陶磁器を手本にした「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器が作られるようになった。そして室町時代まで、瀬戸は国内でただ一つの施釉陶器の産地だったという。

県は、始まりについての言い伝えも紹介している。鎌倉時代、中国でやきものの技術を学んだ加藤四郎左衛門景正が瀬戸で窯を開いたのが、瀬戸焼の始まりとされる。

解釈が分かれる

瀬戸の施釉陶器の始まりについて、資料の書き方は異なる。日本遺産のストーリーは、瀬戸は猿投窯の伝統を受け継ぎ、10世紀後半には今の瀬戸市南部で施釉陶器を生産していたとする。一方、県は古瀬戸の始まりを平安時代末期としている。

瀬戸市によれば、市内では平安時代から今日までの窯跡が885基確認されている。

そのひとつ小長曽陶器窯は、14世紀末から15世紀初めに操業し、室町時代に古瀬戸を生産した窯である。市によれば、優れた茶入などが出土しており、天明8年(1788)に完成した記録から、元禄12年(1699)にもこの窯で焼かれたことが分かる。窯跡は現在国の史跡で、窯は覆屋で守られている。

日本遺産のストーリーは、瀬戸を茶陶の一大ブランドと位置づけ、その名が後にやきものの代名詞「せともの」になったと記している。

瀬戸、磁器へ

県によれば、瀬戸では江戸時代後期に磁器の生産も始まった。陶器と磁器の両方を作っていることが、瀬戸焼の特色の一つだという。

瀬戸市が公開している、瀬戸市美術館館長・服部文孝氏の論考は、さらに詳しく述べる。日本の磁器生産は17世紀初めに九州の有田で始まり、瀬戸ではそれから約200年遅れた享和年間(1801〜1804)に始まった。

瀬戸では、それまでの陶器を「もともとの仕事」という意味で「本業焼」、新しい磁器を「新製焼」または「染付焼」と呼ぶようになった。服部氏によれば、それまで陶業を営めたのは長男で戸主の者に限られていたが、新製焼は二男・三男でも開業できた。磁器はすぐに陶器をしのぎ、瀬戸を代表するやきものとなった。

解釈が分かれる

これまでの通説では、肥前から逃れてきた職人に製法を学んだ加藤粂八が、甥の加藤忠治とともに寛政元年(1789)に磁器を試作したのが始まりとされてきた。しかし服部氏は、明治から大正にかけてまとめられた瀬戸の陶磁史にはその記述がなく、代わりに尾張藩の熱田奉行・津金文左衛門や、加藤吉左衛門・民吉親子など、何人もの人びとによる享和年間の試みが書かれていると指摘する。服部氏の言葉では、本当の瀬戸の磁器の創始者が誰なのかは「謎」なのである。

民吉をめぐって語られてきた物語では、加藤民吉と父は享和元年(1801)に、まだ不完全ながら白い磁器を焼き上げた。民吉は文化元年(1804)、進んだ技術を学ぶため肥前へ旅立ち、3年4か月の修業を終えて文化4年(1807)に戻ると、土の精製法、釉薬の調合法、磁器を焼く丸窯などを瀬戸に伝えた。こうした功績から、民吉は瀬戸の「磁祖」として祀られた。

服部氏によれば、享和元年に16軒、文化元年にさらに28軒が磁器へ転業し、文政5年(1822)には瀬戸村の染付焼の窯屋は91軒になっていた。また、初代民吉の作品だと確かめられるものは、今のところほとんどないという。

常滑―大きな甕

愛知県によれば、常滑焼の起源は平安時代末期にさかのぼり、古くから大甕・大壺などの日用の器で知られてきた。

地元の観光協会は、この土地がやきものに向いていた理由を挙げている。柔らかい地盤となだらかな丘陵は、斜面に掘るトンネル状の窯「穴窯」を築きやすく、良質な土が豊富で、海が近いため製品を運びやすかった。観光協会は常滑焼の始まりを12世紀初めとし、常滑は六古窯の中で最も古い歴史をもち、当時最大規模の産地だったといわれる、と記している。

観光協会によれば、14世紀には常滑の陶工たちが「紐作り」の技法で大型の貯蔵甕や調理具を作っており、15世紀後半には大窯が現れた。甕は酒造りなど、さまざまな実用に使われた。

日本遺産のストーリーによれば、常滑の影響はほかの窯にも及んだ。中世には東は静岡県から南は三重県、北は岐阜県高山市の近くまで山茶碗の窯ができ、その一大勢力が常滑焼だったという。そして常滑の大きな影響を受けて、越前焼は12世紀後半、丹波焼は13世紀、信楽焼は鎌倉時代後半に開かれたとしている。

急須、窯、土管

県によれば、常滑では桃山時代に茶道具が作られ、江戸時代には鉄分の多い地元の陶土を生かした朱泥焼・白泥焼・火色焼が作られて、今日の基礎が築かれた。なかでも粘土の鉄分を赤く発色させた朱泥は、常滑焼の代表として知られる。

観光協会によれば、常滑を代表する赤土の急須は、19世紀半ばに中国の宜興窯から伝わった技術から生まれた。

窯も変わっていった。常滑市によれば、登窯は江戸時代後期に鯉江方救・方寿の親子が導入したことをきっかけに広まり、焼きむらがなくなって生産の効率が上がったといわれる。観光協会は、常滑で最も古い登窯を1830年頃のものとしている。

観光協会によれば、1850年代には陶製の便器を作るようになり、19世紀後半に日本が急速に近代化すると、屋根瓦や上下水道の管も作られるようになった。

観光協会によれば、1930年代後半からは置物が作られ、1950年までに常滑は招き猫の生産量が日本一になった。陶磁器の生産は1950年代に最盛期を迎え、数百もの窯があった。

常滑市は、明治20年(1887)に建てられた登窯「陶栄窯」を紹介している。約20度の斜面に8つの焼成室を連ねた窯で、市は全国で現存する最大規模のものとしている。昭和49年(1974)1月の窯出しを最後に止まり、今では常滑市に唯一残る登窯となっている。

瀬戸と常滑を訪ねる

瀬戸では、市の文化振興財団が運営する瀬戸蔵ミュージアムが、かつての尾張瀬戸駅の駅舎を再現し、やきものの大量輸送を期待された「瀬戸電」の車両を展示している。やきもの工場を再現した「モロ」や、明治後期(20世紀初め)から昭和30年代まで使われた石炭窯も、高さ約9mの煙突とともに復元されている。

同じ瀬戸市にある愛知県陶磁美術館は、猿投古窯群で知られる地に1978年に開館した。美術館は自らを日本最大のやきもの専門美術館としている。2026年10月時点で、ウェブサイトには開館中であることと、窯跡の展示を含む展覧会の情報が載っていた。

常滑では、観光協会によれば、「やきもの散歩道」に常滑市陶磁器会館から出発する2つのコースがある。Aコースは約1.6km、Bコースは約4kmである。土管坂では、片側の壁に明治時代後半に作られた鉄道土管が、反対側に昭和初期の焼酎瓶が並んでいる。

観光協会によれば、Bコースにある「とこなめ陶の森」の資料館では、何世紀にもわたって作られてきた常滑焼が、詳しい英語の解説とともに展示されている。

LIXILが運営するINAXライブミュージアムの「窯のある広場・資料館」には、土管を焼いた大正時代の角窯と、高さ21mの赤煉瓦の煙突が保存されている。常滑市によれば、ここは一般に公開されており、かつて300〜400基あった赤い煙突は常滑焼を象徴する風景だという。

開館日や展示は変わることがあるため、訪れる前に各施設の公式サイトで確かめてほしい。

出典

  1. きっと恋する六古窯―日本生まれ日本育ちのやきもの産地―(日本遺産ポータルサイト ストーリー)Agency for Cultural Affairs (Japan Heritage portal)
  2. 瀬戸焼(あいちの地場産業)Aichi Prefecture
  3. 常滑焼(あいちの地場産業)Aichi Prefecture
  4. 瀬戸窯跡、小長曽陶器窯跡(日本遺産ポータルサイト 構成文化財)Seto City (text in the Agency for Cultural Affairs Japan Heritage portal; 文責 瀬戸市役所ものづくり商業振興課)
  5. 初期瀬戸染付の謎とは(初期染付・民吉に係る論考集)Seto City (瀬戸市; essay by the director of the Seto City Art Museum)
  6. 登窯(陶栄窯)(日本遺産ポータルサイト 構成文化財)Tokoname City (text in the Agency for Cultural Affairs Japan Heritage portal; 文責 常滑市経済振興課)
  7. 窯のある広場・資料館(日本遺産ポータルサイト 構成文化財)Tokoname City (text in the Agency for Cultural Affairs Japan Heritage portal; 文責 常滑市経済振興課)
  8. 常滑焼(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース R5-00620)Tokoname Tourism Association (一般社団法人とこなめ観光協会; text in the Japan Tourism Agency multilingual database)
  9. やきもの散歩道(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース R5-00621)Tokoname Tourism Association (一般社団法人とこなめ観光協会; text in the Japan Tourism Agency multilingual database)
  10. とこなめ陶の森 資料館(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース R5-00615)Tokoname Tourism Association (一般社団法人とこなめ観光協会; text in the Japan Tourism Agency multilingual database)
  11. 瀬戸蔵ミュージアム 館内のご案内Seto City Cultural Promotion Foundation (公益財団法人 瀬戸市文化振興財団)
  12. 愛知県陶磁美術館について 基本理念Aichi Prefectural Ceramic Museum (愛知県陶磁美術館)
  13. 愛知県陶磁美術館 トップページ(開館情報・展覧会情報)Aichi Prefectural Ceramic Museum (愛知県陶磁美術館)