白装束に菅笠をかぶり、金剛杖を手にしたお遍路さんが行き交う風景は、四国の道の風物詩である。お遍路さんがめぐるのは、弘法大師の名で知られる僧・空海ゆかりの88の札所。その道は、阿波・土佐・伊予・讃岐、つまり今の徳島・高知・愛媛・香川の四国4県すべてを通る。
文化庁は四国八十八箇所遍路を、西国三十三箇所巡礼と並ぶ日本の代表的な巡礼の一つとしている。この記事では、巡礼路がどのように形づくられたのか、今も道筋を示す遍路道と石造物、そして遍路を支える地域の「お接待」を見ていく。
88の札所をめぐる道
四国4県などでつくる協議会によれば、四国八十八箇所霊場は、讃岐に生まれた空海(弘法大師、774〜835年)が修行した地として伝えられる寺々である。大師の足跡を訪ねて八十八箇所を巡礼することを四国遍路という。国の史跡の記録も、弘法大師の足跡を追体験する巡礼としている。
道は徳島県鳴門市の1番札所・霊山寺から始まり、高知県、愛媛県を回って香川県の88番札所・大窪寺に至る。その行程は四国一周約1,400キロメートルに及ぶ。
協議会の一覧によれば、1〜23番は徳島県、24〜39番は高知県、40〜65番は愛媛県、66〜88番は香川県にある。多くは真言宗の寺だが、すべてではない。11番の藤井寺は臨済宗、15番の国分寺は曹洞宗である。
4つの国には、修行の段階にちなんだ名前がある。日本遺産のストーリーによれば、お遍路の始まりである阿波は修行への志を固める「発心の道場」、土佐は「修行の道場」、伊予は「菩提の道場」、讃岐は結願成就して悟りに至る「涅槃の道場」と呼ばれる。
札所の姿はさまざまである。厳しい修行をしのばせる急峻な山の寺もあれば、町中や田園の中に建つ寺もある。札所どうしが近い所がある一方、次の札所まで数十キロメートルある所も少なくない。
はっきりしない始まり
四国遍路がどのように始まったのかは定かではなく、国の史跡の記録もそう明記している。
徳島県立博物館は、四国では平安時代から僧が難所を巡って修行をしており、鎌倉時代ごろにはいくつかの霊場ができていたと説明する。日本遺産のストーリーは、四国遍路の歴史は平安時代の僧侶や修験者による、弘法大師が修行したといわれる聖地への巡礼から始まったとし、鎌倉時代には西行、法然、一遍も四国を訪れていたとされるという。
確かな文字の記録は、もっと後のものである。49番札所・浄土寺の本尊の厨子には、大永7年(1527)の年号とともに「辺路同行五人阿州名東住人」という墨書がある。
元亀2年(1571)には、当時の30番札所だった土佐一宮(今の札所は隣の善楽寺)に、山城国の人がただ一人で巡ったことを記す墨書が残る。文化庁は、こうした記載から、少なくとも16世紀には遍路が行われ、四国の内外から遍路が訪れていたことが分かるとしている。
真念の案内書
寺の番号を付けた八十八箇所が文献に初めて現れるのは、貞享4年(1687)に大坂に住む僧・真念が著した『四国遍路道指南』である。真念は何度も遍路を重ね、無料の休息所である遍路屋を設け、案内書をつくり、道標を建てた。文化庁によれば、これ以降、遍路は一般の民衆にも少しずつ広まっていった。
遍路をする人が増えると、記録も残るようになった。実際に遍路をした人が書いた「道中日記」や「納経帳」が残り、当時の札所や遍路の動きが具体的に分かるようになる。
徳島県立博物館は、江戸時代になると、四国が弘法大師の生まれた地であったことから、それまでの霊場もふくめて大師ゆかりの寺院八十八カ所が定まったと説明する。巡礼者はおもに信仰のあつい庶民で、「お遍路さん」と呼ばれ、白装束をつけ、金剛杖をついて寺々を巡った。土地の人びともお遍路さんを手厚くもてなした。
解釈が分かれる
遍路が一般の人々に広まった時期については、資料によって書き方が異なる。
解釈が分かれる
協議会は、室町時代から江戸時代初めにかけて一般庶民にも広がったとする。日本遺産のストーリーは、江戸時代に海上交通の発達とともに遠隔地からの巡礼が盛んになり、四国そのものが聖なる場所とされて一般民衆に広まったとする。文化庁の記録は、1687年の真念の案内書以降、少しずつ広まったと書いている。
遍路道と石造物
協議会によれば、遍路道はもともと巡礼専用につくられた道ではなく、地域の人々の生活道や農道・林道が使われてきた。そのため時代とともにルートも変わったが、その時々の地域社会の中で維持管理され、お遍路を導いてきた道標や丁石が今も各地に残っている。
一部の区間は国の史跡として守られている。香川県の81番札所・白峯寺から82番札所・根香寺へ向かう讃岐遍路道について、文化庁の記録は、道標10基や約40基の丁石などの石造物を挙げている。
丁石は約109メートルおきに置かれていた。年号の分かるものには、文化11年(1814)の遍路墓、天保9年(1838)の接待碑、中務茂兵衛が明治時代に建てた道標などがある。
徳島県では、2010年8月5日に国の史跡「阿波遍路道」が初めて指定された。徳島県教育委員会によれば、このとき指定されたのは20番札所・鶴林寺と21番札所・太龍寺の周辺の遍路道約4.5キロメートルである。
2012年には、国の文化審議会の答申を受けて、ほかの遍路道の一部も追加指定されることになった。今は、ほかの遍路道や札所の境内もこの史跡に含まれている。
今の遍路―同行二人とお接待
日本遺産のストーリーによれば、すべての札所を歩いて回ると40日以上かかる。ただし、一度に全部を巡らなければならないわけではない。どの札所も同じように位置づけられ、どこから始めてもよい。
何回かに分けて巡る「区切り打ち」、国ごとに巡る「一国参り」、順番を逆にたどる「逆打ち」、順番にこだわらない「乱れ打ち」など、巡り方はさまざまで、何度も巡礼する人も多い。今はバスや列車、自家用車で巡る人もいるが、自分の足で歩く人も今なお多い。
ストーリーは、国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんになれるとも述べる。お遍路さんは、弘法大師とともに歩く「同行二人」で旅を続ける。
四国遍路を特徴づけるのが「お接待」である。日本遺産のストーリーによれば、四国の人々はお遍路さんに食事や果物、飲み物をふるまい、ねぎらいの言葉をかけ、道に迷えば道案内をする。時には「善根宿」と呼ばれる無料の宿やお風呂を提供する。
お接待をすることで自分の代わりに遍路を託す、あるいはお接待そのものが功徳である、とも言われている。協議会は、この風習が今も受け継がれているとしている。
2015年度、文化庁は「四国遍路」を日本遺産に認定した。申請したのは愛媛県を代表とする四国4県と、各県内の57市町村である。
訪れられる場所
霊山寺(1番札所、徳島県鳴門市)* 四国遍路の出発点。高野山真言宗の寺。
阿波遍路道(鶴林寺道・太龍寺道)* 20番・21番札所の周辺の遍路道で、国の史跡「阿波遍路道」の一部。
讃岐遍路道(根香寺道)* 香川県の81番・82番札所の間の道で、道標や丁石が道筋を示している。
大窪寺(88番札所、香川県さぬき市)* 四国遍路を締めくくる札所。
札所は今も信仰の場である。交通や参拝の情報は、公式サイトで確認してから出かけてほしい。
出典
- 「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~(日本遺産ストーリー)Agency for Cultural Affairs (Japan Heritage portal)
- 讃岐遍路道Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 常設展示「5 藩政のもとで」Tokushima Prefectural Museum
- 平成27年度認定地域 総括評価・継続審査結果一覧(令和3年7月16日報道発表 別紙2-1)Agency for Cultural Affairs
- 四国遍路とはCouncil for the World Heritage Registration of the Shikoku Pilgrimage (four Shikoku prefectures and municipalities)
- 阿波遍路道Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 「阿波遍路道(鶴林寺道 太龍寺道 いわや道)」の国史跡追加指定と名称変更についてTokushima Prefectural Board of Education
- 金剛峯寺(地域観光資源の多言語解説文データベース)Hashimoto-Ito Regional Tourism Council (text in the Japan Tourism Agency multilingual database)
