Japan Through Time

大分県 · 1950年 · 古代 · 近世 · 江戸時代 · 近代 · 明治時代 · 現代

Beppu: The Making of a Modern Hot-Spring City

別府―近代の温泉都市

8世紀の記録にも見える別府の温泉は、明治に新しい掘削技術を得て湯治場として発展した。1950年には国の法律で、国際観光温泉文化都市として建設されることになった。

約5分 · 出典 12件

別府の竹瓦温泉の木造2階建ての建物。瓦屋根と、入口の上の曲線を描く破風が見える。手前には舗装された道、若い木、街灯、花のプランター、止められた自転車があり、空は青い
別府市営の竹瓦温泉。今の建物は1938年の建築(2009年5月撮影)。663highland, 2009-05-05 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution 2.5 Generic · 出典 · 縮小して掲載

大分県の東海岸にある別府は、地熱活動が続く火山群の麓に広がる扇状地の上の町である。文化庁によれば、別府は全国一の源泉数と湧出量を誇り、市内の約400か所から湯けむりが立ち上る。

別府市は、この湯けむりを別府を象徴する風景としている。この記事では、古くから知られた温泉が明治に湯治場として発展し、1950年には国の法律によって国際観光温泉文化都市として建設されることになるまでをたどる。

古い記録に残る温泉

別府の温泉は、8世紀の記録にも登場する。文化庁によれば、8世紀の『豊後国風土記』には、真っ赤に染まる「血の池地獄」や青藍色の「海地獄」に関する記述が見られる。17世紀末に貝原益軒が著した『豊国紀行』や、18世紀初めに編まれた『和漢三才図会』にも記述がある。

別府市によれば、元禄7年(1694)の『豊国紀行』には温泉場のにぎわいが記されている。

温泉は入浴だけに使われたわけではない。明礬温泉では、江戸時代から湯の花がつくられてきた。湯の花小屋という施設を建て、その中で噴気と青粘土を利用して結晶をつくる技術で、湯の花は薬や入浴剤として使われてきた。

文化庁は、明礬では近世には明礬(みょうばん)、明治以降は入浴剤の湯の花の生産に噴気が使われてきたと説明する。この技術は2006年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

掘削と明治の湯治場

文化庁は、明治の別府の変化をこう説明する。港が整備され、瀬戸内各地から客が訪れるようになり、町は湯治場として発展した。

湯の供給を変えたのは新しい技術だった。文化庁によれば、明治中期に、千葉県の上総地方で成立した井戸掘りの技術「上総掘り」が別府に導入された。これで人工的な掘削が可能になり、源泉の数は飛躍的に増えた。

上総掘りは、別府の地質に合わせて一部が「別府式」に改良され、別府温泉の名とともに温泉掘削の技術も広く知られるようになったという。「湯突き」と呼ばれたこの人力の掘削に使われた用具394点は、2020年に登録有形民俗文化財となった。別府市によれば、明治の後期には約1,000孔の掘削井があったと言われている。

市営の竹瓦温泉は明治12年(1879)の創設で、最初は竹屋根の浴場、のちに改築されたものが瓦葺きだったことから、竹瓦温泉の名がついたと伝えられている。今の建物は昭和13年(1938)の建築で、正面に唐破風造の豪華な屋根をもち、市は別府温泉のシンボル的な存在としている。

鉄輪では、明治31年(1898)の冨士屋旅館の主屋が登録有形文化財になっている。文化庁は、別府八湯の中核をなす鉄輪温泉の老舗旅館と紹介している。

1905年の「豊後各温泉案内図」は、豊後の各温泉を5枚の鳥瞰図に描いたものである。文化庁のデータベースによれば、家々が建ち並んでにぎわう温泉場や、別府と浜脇の間を走った路面電車など、明治35年(1902)当時の様子がうかがえる。

地獄と「地獄めぐり」

別府の見どころの一つが「地獄」である。文化庁によれば、鉄輪温泉の区域には、高温の湯が大量に、独特の色や形で湧き出る泉源の一群があり、「地獄」と呼ばれて親しまれてきた。

近代になると、もとからある地獄に加えて新しい地獄が掘られた。大正12年(1923)には間欠泉の龍巻地獄が、昭和6年(1931)には白く濁った湯の白池地獄が生まれた。泉源を巡る「地獄めぐり」が始まり、やがて別府の景勝地遊覧の要として宣伝されるようになった。

血の池・海・龍巻・白池の4つの地獄は、2009年に国の名勝「別府の地獄」に指定された。文化庁は、独特で多様な色や形の観賞上の価値と、名所としての価値、学術的な価値を評価している。

1950年の法律

1950年(昭和25年)7月18日、別府国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第221号)が公布された。第1条は、国際文化の向上を図り、世界恒久平和の理想を達成するとともに、観光温泉資源の開発によって経済復興に寄与するため、別府市を国際観光温泉文化都市として建設することを目的に掲げた。

法律は、都市計画に国際観光温泉文化都市にふさわしい施設の計画を含めることを定めた。国と地方公共団体の関係機関には、できる限りの援助を与えることを義務づけ、事業の費用を負担する公共団体に国の普通財産を譲ることも認めた。

事業を行う者は少なくとも6か月ごとに建設大臣に進み具合を報告し、内閣総理大臣は毎年1回国会に報告することとされた。別府市長には、住民の協力を得て都市を完成させるため、絶えず活動する責務が課された。法律は公布の日から施行された。

湯けむりの観光都市

別府市は、戦後の社会情勢の安定や経済の復興に伴って温泉開発の勢いが増し、昭和30年代から40年代は急激な温泉開発の時代だったと説明している。

文化庁は、今、町を包むほどに立ち上る湯けむりの多くを、この時代と結び付ける。高度経済成長期の社員旅行や新婚旅行といった大衆観光ブームを背景に、昭和30年代に本格的に導入されたボーリングで掘られた泉源からのものだという。

昭和30年代を中心に、別府タワーなどさまざまな観光施設が建てられた。昭和39年(1964)には九州横断道路が開通して、阿蘇・熊本へつながる観光周遊ルートに組み込まれ、多くの旅館が建てられた。1960年代には10年にわたって毎年100前後の新しい掘削が行われ、今の湯けむりの景観が形づくられた。

2012年、「別府の湯けむり・温泉地景観」が重要文化的景観に選定された。文化庁は、共同浴場や地獄釜の蒸し料理といった暮らし、貸間・旅館などの宿泊業や湯の花づくりといった生業を支えてきた土地利用のあり方を評価している。限りある温泉資源の保全と活用という課題にも向き合い続けているという。

別府市のサイトに載る大分県の資料による数字では、令和7年3月末現在、市内の源泉総数は2,831、総湧出量は毎分101,856リットルである。市内の大学では約3,700人の留学生が学んでいるという。

訪れられる場所

竹瓦温泉では、普通浴と砂湯を利用できる。砂湯では、浴衣を着て横たわると、温泉で温められた砂をかけてもらえる。文化庁によれば、市内の湯けむりのおよそ半数は鉄輪と明礬に立ち上り、鉄輪には共同浴場や湯治のための貸間旅館がひしめいている。

名勝に指定された4つの地獄は、別府市の鉄輪・野田にある。営業時間や料金は、訪れる前に公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 別府国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第221号)House of Representatives, Japan
  2. 別府の地獄Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  3. 別府の湯けむり・温泉地景観(昭和の文化財)Agency for Cultural Affairs
  4. 別府の湯けむり・温泉地景観Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  5. 別府の湯突き用具Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  6. 別府明礬温泉の湯の花製造技術Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  7. 冨士屋旅館主屋Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  8. 豊後各温泉案内図Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  9. 別府温泉のなぞと歴史(温泉百科)Beppu City (Hot Springs Division), produced jointly with NPO 別府温泉地球博物館事業研究会
  10. 温泉データ(温泉百科)Beppu City (Hot Springs Division)
  11. 別府市の概要Beppu City (Policy Planning Division)
  12. 竹瓦温泉Beppu City