Japan Through Time

埼玉県 · 江戸時代 · 明治時代

The Chichibu Incident: A Popular Movement amid Debt and Depression

秩父事件―負債と不況の中の民衆運動

1884年、借金に苦しむ秩父の養蚕農民が困民党をつくり、武器を手に立ち上がった。なぜ立ち上がったのか、どう鎮圧されたのか、そしてこの事件がどう理解されてきたのかをたどる。

約7分 · 出典 16件

1884年(明治17年)、埼玉県の秩父の山あいで、借金に苦しむ農民たちが「困民党」をつくり、武器を手に立ち上がった。人びとは高利貸や質屋、郡役所を襲ったが、政府が送った軍隊によって鎮圧された。

解釈が分かれる

当時、この出来事は「秩父暴動」と呼ばれた。今は「秩父事件」として知られるが、どのような性格の運動だったのかについては、今も研究者の見方が分かれている。

絹と山の暮らし

秩父の暮らしは、長く絹に支えられてきた。秩父市によれば、江戸時代の秩父では、田畑のほかに現金収入が見込める養蚕が盛んで、「秩父絹」は上州の桐生と並ぶほど栄えた。

各地には絹を取り引きする市が立った。中でも大宮郷の妙見宮(今の秩父神社)の市は最大で、霜月(11月)の1日から6日まで開かれ、「絹大市」と呼ばれた。埼玉県の蚕糸業の年表も、元禄年間(1688〜1704年)の末ごろに活発になった絹市の一つとして秩父を挙げている。

『日本大百科全書』は、秩父の山村では穀物を自給できず、主に生糸の生産でそれを補っていたと説明している。『世界大百科事典』は、全国の養蚕農家の暮らしが世界経済の動きに左右されたと書いている。

1880年代はじめの負債

『日本大百科全書』によれば、1883年と1884年、世界的な不況と松方財政によるデフレが、この商品経済を直撃した。そこへ地方税の引き上げや、学校・新しい道をつくる費用の負担が重なった。

秩父市の説明も同じ流れである。デフレ政策で暮らしを支えていた生糸の価格が大暴落し、地方税の増加が追い打ちをかけ、多くの人が高利貸からの借金に苦しんでいたという。

農民は金貸会社や高利貸、質屋から金を借り、利子は法外に高くなった。『世界大百科事典』(平凡社)は、1884年の秩父では、裁判所の呼び出しを恐れて流浪する農民が100人を超えていたと書いている。

請願から蜂起へ

運動は請願から始まった。『日本大百科全書』によれば、1883年11月、農民の総代が郡役所に、高利貸に説諭してほしいと請願したが、受け付けられなかった。

1884年2月、自由党の大井憲太郎が秩父を訪れたのをきっかけに、没落しかけていた中農層の約20人が自由党に入った。同書は、この人びとが困民党の中核になったとしている。

8月には、借金を抱えた農民たちが山林で集会を重ねたが、そのたびに警察に解散させられた。9月、幹部たちは、農業のかたわら貸し借りの仲裁などを引き受けていた大宮郷の田代栄助を招いた。

『ブリタニカ国際大百科事典』によれば、彼らの目標は、借金の返済を10年据え置いて40年の年賦で返すこと、学校の費用や雑税、村の費用を減らすことなどだった。幹部たちは請願を続け、高利貸との個別の交渉も重ねた。

それが行き詰まると、蜂起を決めた。『世界大百科事典』によれば、10月中旬には蜂起の軍資金を用意するために2度の強盗事件を起こした。大井憲太郎は蜂起をやめさせようと使いを送ったが、幹部たちは説得を拒み、10月26日、11月1日を蜂起の日と決めた。

11月の10日間

秩父郡東部の風布村がまず立ち上がった。『世界大百科事典』と『日本大百科全書』は10月31日、丑木幸男の研究(2001年)は10月30日としている。11月1日、下吉田村の椋神社に集まる前に、農民と警官隊が衝突した。杵渕隼人(2018年)は、下吉田を中心とした戦闘で埼玉県の警察官1人が死亡したとしている。

椋神社では、幹部が役割を発表した。総理は田代栄助、副総理は加藤織平、会計長は井上伝蔵(『日本大百科全書』と石狩市の資料による。『世界大百科事典』は参謀長とする)で、村ごとの部隊が編成された。

厳しい軍律も示された。武器は竹槍、刀、銃だった。

続いて約3,000人が大宮郷に入った。その日を『日本大百科全書』と丑木は11月2日、杵渕(2018年)は11月3日の朝としている。『日本大百科全書』によれば、人びとは高利貸を襲い、富豪から金を集め、役所の力を一掃した(『世界大百科事典』は、8軒の豪家から軍用金を強制的に借り、受領証を出したとする)。埼玉県は、農民たちが質屋や郡役所を襲ったと説明している。

この日々を商人の目で記録した資料が残っている。1885年、秩父の商家・矢尾商店の番頭が、店の日記から事件に関する記事を書き写したもので、秩父市は2025年、この冊子「秩父暴動事件概略」を市の文化財に指定した。市は、商人の目線で書かれた重要な資料としている。

県は内務卿に軍隊の派遣を求め、3日には鎮台兵や憲兵が配置についた。皆野では銃撃戦となった。4日の午後、田代ら幹部は皆野の本陣から逃れた。

その夜、『日本大百科全書』によれば500人近い(杵渕が引く陸軍の報告では約600人の)一隊が児玉郡の金屋村で鎮台兵と戦い、戦いの中で死者を出した。菊池貫平の率いる別の一隊は群馬県に入り、さらに長野県へ進んだが、11月9日の明け方、東馬流で敗れた。

解釈が分かれる

当時の記録にもとづく研究は、次のような数を示している。杵渕隼人(2018年)は、埼玉県の警察官の死者を合わせて2人とし、群馬県の警官隊では警部補1人が死亡し、巡査1人が捕らえられてのちに死亡したとしている。同じ著者(2019年)が引く陸軍の報告は、金屋での蜂起側の死傷者を約30人としている。

裁判と指導者たちのその後

解釈が分かれる

多くの人が裁かれ、処罰された。その数は資料によって異なり、数えている対象(被告、処罰された人、有罪となった人)も同じではない。『日本大百科全書』は、被告は秩父だけで6,400人を超え、死刑は7人だったとする。『世界大百科事典』は処罰された人を4,500人を超えるとし、石狩市の資料は約4,000人とする。『ブリタニカ国際大百科事典』は、有罪が確定したのは3,386人で、そのうち7人が死刑だったとしている。

田代栄助は山中に身を隠したのち逮捕され、『日本大百科全書』によれば、1885年5月に熊谷で処刑された。

会計長の井上伝蔵も死刑の判決を受けたが、逃げ延びた。石狩市の資料館によれば、伝蔵は下吉田に家族を残し、1887年に北海道へ渡った。そこで「伊藤房次郎」と名乗り、代書業の手伝いをしながら俳句を詠んで暮らした。

伝蔵は1918年6月23日、野付牛(今の北見)で亡くなった。死の直前に妻や子どもに自分の正体を明かし、その死は新聞でも報じられた。

事件はどう理解されてきたか

『世界大百科事典』によれば、明治政府はこの事件を、少数の壮士や博徒、脱獄した者が多くの善良な農民をそそのかして起こしたものと解釈した。新聞などもその見方に従い、当時は事件の実像は分からなかった。

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その後の研究でも、見方は一つではない。『山川 日本史小辞典』は、この事件を自由民権運動の一部とみる見方と、借金の返済をめぐる伝統的な農民騒動としての性格を重くみる見方とが対立している、と書いている。

解釈が分かれる

稲田雅洋は1973年の論文で、それまでの研究がこの蜂起を「ブルジョア民主主義運動」の中で最も革命的なものとしてきたことを指摘した。そのうえで稲田自身は、参加者が自由党や板垣退助と結びつけて語った「世直し」の流れの中に、この蜂起を位置づけている。

解釈が分かれる

『日本大百科全書』は、困民党の事件の中で自由民権運動史に刻まれる最大のものとしている。埼玉県は、秩父盆地全体を巻き込んだこの騒動が全国に大きな影響を与えたとし、秩父市は、秩父事件が全国に知られることになったとしている。

参加した人びとの目的も、一つではなかった。『世界大百科事典』によれば、幹部と農民をつなぐ地域の世話役の中には、初めから竹槍での蜂起によって要求を通そうとする人が多かった。一方、幹部は合法的な請願や高利貸との個別の交渉に手を尽くし、世話役たちに突き上げられて、ようやく蜂起を決めたという。

秩父を訪ねる

秩父市は、吉田地区にある「秩父事件資料館(井上伝蔵邸)」を、市内の歴史資料館の一つとして紹介している。道の駅龍勢会館のページによれば、この家は事件から120年の2004年に作られた映画『草の乱』のために復元されたもので、伝蔵に関する資料や、撮影で使われた衣装・小道具が展示されている。

受付は道の駅龍勢会館で行う。開館時間や入館料は、訪れる前に公式サイトで確かめてほしい。

出典

  1. 秩父市の歴史Chichibu City
  2. 埼玉県の歴史Saitama Prefecture
  3. 埼玉県の蚕糸業のあゆみSaitama Prefecture
  4. 秩父暴動事件概略Chichibu City Board of Education
  5. 歴史資料館・その他文化施設Chichibu City
  6. 龍勢の町 よしだ 龍勢会館(井上伝蔵邸)Michi-no-eki Ryusei Kaikan
  7. 石狩ファイル No.0105-01 井上伝蔵Ishikari City Board of Education (Ishikari Sakyu no Kaze Museum)
  8. 秩父事件(日本大百科全書)Shogakukan (via Kotobank)
  9. 秩父事件(改訂新版 世界大百科事典)Heibonsha (via Kotobank)
  10. 秩父事件(山川 日本史小辞典 改訂新版)Yamakawa Shuppansha (via Kotobank)
  11. 秩父事件(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)Britannica Japan (via Kotobank)
  12. 田代栄助(日本大百科全書)Shogakukan (via Kotobank)
  13. 秩父事件の歴史的位置―その蜂起の論理、世直し一揆との関係を中心に―Hitotsubashi University (Hitotsubashi Ronso)
  14. 秩父事件と戸長役場史料National Institute of Japanese Literature (Shiryokan Kenkyu Kiyo)
  15. 秩父事件鎮圧の諸相(二)―警察、軍隊、自衛隊―(研究ノート)Hosei Historical Society (Hosei University Repository)
  16. 秩父事件鎮圧の諸相(一)―警察、軍隊、自衛隊―(研究ノート)Hosei Historical Society (Hosei University Repository)