Japan Through Time

岩手県 · 平安時代後期 · 中世

Hiraizumi: Gold, Power, and the Pure Land in Northern Japan

平泉―北日本の黄金・権力・浄土

奥州藤原氏はおよそ100年にわたって平泉から北日本を治め、この世に仏の浄土を表そうとする寺院と庭園を築いた。

約7分 · 出典 17件

2023年に撮影された平泉・毛越寺の浄土庭園。玉石を敷いた岸辺と、松や杉の高い木々が静かな池に映っている
2023年の毛越寺の池の庭園。Renate Hano, 2023-05-26 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

12世紀、今の岩手県にある平泉は、北日本で最も重要な拠点のひとつになった。およそ100年のあいだ、奥州藤原氏の4代がここから東北を治め、町を寺院や庭園、仏教美術で満たした。

いま平泉は、世界遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の町として知られる。2011年6月25日、パリで開かれた第35回世界遺産委員会で、世界遺産一覧表への記載が決まった。構成資産は中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5つである。

ただし、訪れた人が目にするものの多くは12世紀の建物そのものではない。残った1棟の堂、発掘された遺構、復元された庭園、後の時代に建て直された建物が重なり合っている。この記事では、平泉がどう築かれ、どう滅び、その跡がどのように今に伝わったかをたどる。

二つの戦乱から

平泉は戦乱の中から生まれた。11世紀の東北では、前九年合戦(1051〜1062年)と後三年合戦(1083〜1087年)という長い争いが続いた。後三年合戦は主に清原氏の内部の争いで、藤原清衡も妻子をこの争いの中で殺されている。

1087年に戦いが終わったとき、清原氏の跡継ぎで生き残っていたのは清衡ただ一人だった。清衡は地域の有力者の頂点に立ち、荘園の管理、税の取り立て、交易の統制を担った。学術誌PLOS ONEの論文によれば、奥州は都で特に求められた馬と金を産し、さらに北方からの品々も重んじられた。

解釈が分かれる

平泉町の年表は、清衡が1095年ごろ(1099年とする説もある)に江刺郡の豊田舘から平泉へ移ったとする。正確な年は確定していない。平泉は北上川流域にあり、北方との交易に欠かせない陸路や水路とつながっていた。

解釈が分かれる

奥州藤原氏がどこまで自立した存在だったかは、研究者のあいだで見方が分かれている。PLOS ONEの論文は、少なくとも日本の国家の管轄に完全には収まらない半ば自立した地域だったとみる研究者がいる一方、平泉は事実上独立していたと考える研究者もいると紹介している。文字の史料は少なく、その多くは朝廷や後の幕府の側でまとめられたため、偏りの問題もある。

敵も味方も弔う寺

清衡は12世紀の初めに中尊寺の大伽藍の造営を始めた。平泉町の年表では、その着手を1105年ごろとしている。中尊寺によれば、清衡はこの寺によって、東北の戦乱で亡くなった敵味方すべての霊を慰めようとし、仏の教えにもとづく平和な国をつくろうと願った。

清衡はその願いを『中尊寺建立供養願文』に記した。平泉町の年表は、1126年に大伽藍の落慶供養が行われたと記している。平泉町はこの願文を、争いのない平和な国にすることを誓った文書だと説明している。

造営には約20年をかけた。清衡は京都から優れた職人を呼び寄せ、仏像や仏具、堂の内部の装飾、経典をそろえた。

金字と銀字を1行ごとに交えて書いた一切経もそのひとつである。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』は、堂塔が40以上、僧坊が300以上あったと記している。

最もよく知られる建物が、1124年に完成した金色堂である。中尊寺は、創建当初の姿で残る中尊寺唯一の12世紀の建物だと説明している。阿弥陀如来をまつる小さな堂で、屋根を除く内外が金箔で覆われている。

1288年には堂を守る覆堂が建てられ、1968年には大規模な修理が完了した。平泉町によれば、須弥壇の中には藤原氏三代の遺体と泰衡の首が納められている。PLOS ONEの論文は、これらの比定に疑いの余地がないわけではないが、可能性は高いとしている。首を泰衡のものとしたのは1950年の調査である。

この世に浄土を

浄土思想は、阿弥陀如来の極楽浄土を中心とする信仰である。平泉町は、この信仰が、仏の教えが衰える末法の世が近づくにつれて広まり、日本では古くからの自然崇拝とも結びついたと説明している。ユネスコの2011年の発表は、浄土を死後に人びとが願う世界であると同時に、この世での心の安らぎでもあると述べている。

清衡の後継者たちは、この考えを景観として形にしていった。2代基衡は、豊富に採れた金と交易で得た富を生かして毛越寺を建てた。『吾妻鏡』はその堂塔を国内に並ぶもののない立派さだと記している。

寺の説明では、堂塔40、僧坊500を数えたという。そのとなりには、基衡の妻が建てたと伝えられる観自在王院があった。

3代秀衡は金鶏山を基準にして毛越寺を完成させ、さらに宇治の平等院鳳凰堂にならって無量光院を建てた。平泉町によれば、規模は鳳凰堂よりひと回り大きかったようだという。

岩手県の「ひらいずみ遺産」の公式サイトによれば、無量光院の伽藍の中心線は東門・中島・本堂を貫き、その先の金鶏山とまっすぐ結ばれている。春と秋の年2回、夕刻にはその稜線上に日が沈む。秀衡は1170年に鎮守府将軍に任じられ、のちに陸奥守にもなった。

金鶏山そのものも信仰の山だった。歴代の奥州藤原氏が山頂に経塚を築き、平泉のまちづくりの基準ともなった。平泉を守るため、雌雄一対の黄金の鶏を埋めたという伝説も残る。

文化庁は、平泉の価値を次のようにまとめている。平泉は仏教にもとづく理想世界の実現を目指して造られた政治・行政上の拠点であり、その庭園は池・樹林・金鶏山頂との関係を考えて仏堂を周到に配置したものだった。4つの庭園のうち2つは発掘調査にもとづいて復元され、残る2つは今も地下に眠っている。

無量光院の近くには柳之御所遺跡がある。1988年から大規模な発掘調査が始まり、岩手県は、『吾妻鏡』に見える政庁「平泉館」にあたる可能性が高いと評価している。1997年に国の史跡となり、現在は世界遺産への拡張登録を目指す候補になっている。

1189年の滅亡

平泉の終わりは、鎌倉に生まれた新しい武家政権の政治から訪れた。兄の源頼朝と対立した源義経は、平泉に逃れてきた。1187年の冬、義経を守ってきた秀衡が病で亡くなる。

跡を継いだ泰衡は頼朝の圧力に抗しきれず、1189年に義経を攻め、義経は自害した。それでも頼朝は平泉へ軍を進めた。泰衡は北へ逃れたが家臣に殺され、奥州藤原氏の支配はここに終わった。

ただし、一族の滅亡がそのまま平泉の消滅を意味したわけではない。岩手県立図書館によれば、1189年に藤原氏の居館は焼けたが、中尊寺をはじめとする寺院は戦火を免れた。頼朝は寺院に所領を保証し、1195年には修理も命じている。

それでも平泉は、北の拠点としての役割を失った。PLOS ONEの論文は、平泉がしだいに農村へと衰えていったと述べている。

壮麗な建物は、その後の数百年のあいだに失われていった。平泉町の年表には、1226年の毛越寺の円隆寺・嘉勝寺の焼失、1337年の中尊寺の火災、1573年の観自在王院と毛越寺の焼失が記されている。平泉町によれば、江戸時代までに金色堂を除くすべての建物が失われた。

残ったもの、建て直されたもの

中尊寺の宝物の多くは、こうした災いを乗り越えた。中尊寺によれば、3,000点を超える国宝・重要文化財が残り、その大半は2000年に開館した讃衡蔵に収められている。現在の本堂は1909年に再建されたものである。

毛越寺では、藤原氏の滅亡後に古い建物がすべて焼失した。寺の説明では、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍の遺構が、ほぼ完全な状態で保たれている。現在の本堂は1989年に完成した。

観自在王院跡は発掘調査にもとづいて史跡公園として復元され、無量光院跡では池を復元する整備が続いている。平泉町は、地上にはほとんど何も残っていないため、研究成果にもとづく復元図や模型が遺跡を理解する助けになると述べている。

平泉を訪ねる

岩手県立の平泉世界遺産ガイダンスセンターは、世界遺産「平泉」を紹介し、遺跡めぐりの出発点となるよう設けられた施設である。金色堂と讃衡蔵のある中尊寺、浄土庭園のある毛越寺は、拝観料を納めて拝観できる寺院である。

観自在王院跡は毛越寺のとなりの史跡公園で、無量光院跡、金鶏山、柳之御所史跡公園も町内にある。開館時間や料金は変わることがあるため、出かける前にそれぞれの公式サイトで確かめてほしい。

出典

  1. Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi (Japan) and Germany's Beech Forests also inscribedUNESCO World Heritage Centre
  2. 平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―文化庁 文化遺産オンライン
  3. 平泉の文化遺産とはHiraizumi Town
  4. 平泉年表Hiraizumi Town
  5. 奥州藤原氏Hiraizumi Town
  6. Oshu-Fujiwara ClanHiraizumi World Heritage Promotion Room, Hiraizumi Town
  7. Chūson-ji TempleChūson-ji
  8. About Motsuji TempleMōtsū-ji
  9. Admission & Transportation (Motsuji Temple)Mōtsū-ji
  10. Historic Site / Place of BeautyHiraizumi World Heritage Promotion Room, Hiraizumi Town
  11. 世界の平泉へIwate Prefectural Library
  12. The Ōshū Fujiwara—An interdisciplinary study on the history, culture and medical assessment of the oldest known mummified human remains in Japan (late Heian, 12th century AD)PLOS ONE
  13. 平泉世界遺産ガイダンスセンター(ひらいずみ遺産公式サイト)岩手県/世界遺産平泉保存活用推進実行委員会
  14. 無量光院跡(ひらいずみ遺産公式サイト)岩手県/世界遺産平泉保存活用推進実行委員会
  15. 金鶏山(ひらいずみ遺産公式サイト)岩手県/世界遺産平泉保存活用推進実行委員会
  16. 観自在王院跡(ひらいずみ遺産公式サイト)岩手県/世界遺産平泉保存活用推進実行委員会
  17. 柳之御所遺跡(ひらいずみ遺産公式サイト)岩手県/世界遺産平泉保存活用推進実行委員会