鳥取県のほぼ中央にある三徳山。その北側の斜面の高いところで、岩壁のくぼみの中に小さな木造のお堂が、細く長い柱に支えられて建っている。
三徳山三佛寺の奥院、投入堂である。1952年から国宝に指定されている。
「投入堂」という名は、「投げ入れたお堂」という意味だ。寺の言い伝えでは、修験道の開祖とされる役行者が、お堂を手のひらに乗るほど小さくして、岩窟に投げ入れたという。
一方で、科学的な年代測定は別の手がかりを示している。この記事では、言い伝えと調査の成果、そして今訪れて見られるものを紹介する。
修行の山
三佛寺は、三朝町の三徳山にある天台宗の古い寺である。山のふもとには輪光院・正善院・皆成院の三院がある。本堂の裏の宿入橋を渡ると、急な北斜面を生かして、文殊堂・地蔵堂・納経堂・投入堂などのお堂や鐘楼が建てられている。
寺の始まりははっきりしていない。寺伝によると、慶雲3年(706年)、修験道の祖・役小角(役行者)が三枚の蓮の花びらを散らしたところ、大和国の吉野山、伊予国の石鎚山、伯耆国の三徳山に落ちた。そこで三徳山にお堂を建て、修験の行場としたのが始まりとされる。
三佛寺は役行者について、7〜8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる人物と説明している。実在したことは確かなようだが、生まれた年や亡くなった年など詳しいことは分からないという。役行者には、不思議な力で空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつったという伝説が数多く残る。
解釈が分かれる
もう一つの寺伝では、嘉祥2年(849年)に慈覚大師円仁が伽藍を建て、阿弥陀如来・釈迦如来・大日如来の三仏をまつったことから「三佛寺」と呼ばれるようになったという。ただし鳥取県は、円仁が三徳山に来たという明確な資料はないとしている。県は、このころ山陰にも天台密教が伝わっていたと推定している。
三徳山は修行の場であった。鳥取県によれば、三徳山には4か所の行場があったとも伝えられる。投入堂の上の険しい岩場のあたりや、宿入橋から投入堂までの道もその一つだった。
岩窟の中のお堂
文化庁の解説によれば、投入堂は山腹の岩窟の中に、崖にかかるように建てられた小さな建物である。床の下をきわめて長い柱が支えており、「懸造」と呼ばれる造りになっている。規模は桁行一間・梁間二間で、屋根は檜皮葺である。
お堂の姿は、岩の形と深く結び付いている。県と寺が紹介する鳥取県の事典の文章によれば、投入堂は北斜面の標高約500mの地点にある。
凝灰角礫岩と溶岩の境目にできた天然のくぼみを利用して建てられ、凝灰角礫岩の急な崖を足場としている。お堂の上には、柱状節理の発達した安山岩の溶岩が覆いかぶさるように張り出している。
文化庁によると、投入堂はもとは三佛寺の鎮守の「蔵王殿」と呼ばれていた。お堂の脇に付いた小さな愛染堂も、投入堂と同じときに建てられたと考えられている。その後の歩みは、永和元年(1375年)に修理が行われたことが分かっているだけで、ほかははっきりしない。
文化庁は投入堂を、山陰地方で最も古い建物としている。また、平安時代の優れた意匠と、奇抜な構成をもつ、たぐいまれな遺構だと評価している。
いつ建てられたのか
文化庁の解説は、投入堂の年代を建物の様式から見ている。建てられた年代は明らかでないが、平安時代の様式をもっているとする。
柱や桁、梁、垂木などは細く、大きく面を取ってあり、垂木の勾配はゆるやかだ。流造の屋根の両側には庇屋根が付いている。
近年の年輪年代測定は、より確かな手がかりを示した。鳥取県によれば、奈良文化財研究所が行った年輪年代測定で、投入堂は平安時代後期、11世紀後半から12世紀前半に建てられたことが分かった。県と寺が紹介する事典の文章は、測定を平成13年(2001年)、年代を1086〜1184年としており、文化庁のデータベースも1086〜1184年としている。
年輪が教えてくれるのは、建てられた時期であって、建て方ではない。県と寺が紹介する事典の文章は、崖の上にどうやって建てたのかは、今もなお謎のままだとしている。
蔵王権現の像
投入堂には、7体の蔵王権現立像がまつられていた。鳥取県によれば、7体ともに重要文化財で、今はすべて宝物殿に展示されている。
正本尊が最も新しく、鎌倉時代初めの作である。正本尊だけがヒノキ材の寄木造で、ほかの6体は一木造だという。
鳥取県は蔵王権現を、平安時代に悪魔を降伏させる神として大いにあがめられた密教の神と説明している。また、三徳山の像高1.15mの木造蔵王権現立像は、日本の蔵王権現の中でも最古に近いものだという。
解釈が分かれる
正本尊については、新しい見方もある。像の胎内にあった文書を読み解いたことから、運慶の父である康慶の作ではないかという説が唱えられている。県はこれを一つの説として紹介しており、定まった結論ではない。
文化財としての評価
文化庁のデータベースでは、投入堂の重要文化財の指定日は1904年2月18日とされ、1952年3月29日に国宝に指定された。三徳山は国の名勝と史跡に指定されている。
2008年9月、文化庁は世界遺産暫定一覧表への追加についての調査・審議の結果を発表した。「三徳山-信仰の山と文化的景観」は一覧表への記載は見送られたが、一覧表の候補となる文化資産として位置づけられた。
2015年(平成27年)4月、文化庁は、ともに三朝町にある三徳山と三朝温泉を「日本遺産」に認定した。三徳山への参詣で、人の迷いのもととされる「六根」を清め、温泉で「六感」を癒すという物語である。三朝温泉には、三徳山への参詣者が白い狼の命を助けたことがきっかけで見つかったという伝説があり、参詣の前に心身を清める場所として、三徳山の信仰と深く結び付いている。
訪れられる場所
三徳山三佛寺と投入堂への道(鳥取県三朝町)* 寺から投入堂までは、ところどころに鎖を伝う急な登山道があり、多くの参拝者や観光客が登っている。寺はこの登山を、修行の山での参拝と位置づけている。受付で貸し出される輪袈裟を掛けて登り、投入堂の手前まで参拝する。
入山には厳しい条件がある。事故を防ぐため、寺は入山の前に服装と靴を確かめており、スニーカーなどでは許可が出ないこともある。必ず二人以上で、両手が使える動きやすい格好で登る。
幼児は登れず、ストックや杖も使えない。雨や雪で危ないと寺が判断した日は入山できず、例年12月から3月ごろまでは積雪のため入山禁止になる。
境内はすべて国の史跡・名勝であり、動植物の採取、喫煙や火の使用は禁じられ、山中での食事も控えるよう求められている。境内とその周辺ではドローンの飛行も禁止されている。受付時間や志納金、その日の登山の可否は変わることがあるので、訪れる前に三佛寺の公式サイトで確かめてほしい。
三佛寺の宝物殿* 投入堂にまつられていた7体の蔵王権現立像が展示されている。寺によれば、入山志納金に宝物殿の入館料も含まれている。
三朝温泉* 三徳山とともに日本遺産に認定された温泉地で、三徳山への参詣と深く結び付いている。
出典
- 三仏寺奥院(投入堂)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 1.開山・建立(三徳山)Tottori Prefecture (Chubu General Office)
- 1 建造物(三徳山)『鳥取県文化観光事典』 (2002), excerpt reproduced on a Tottori Prefecture (Chubu General Office) page
- 三徳山三佛寺(三徳山 公式ホームページ)Mitokusan Sanbutsuji (the temple's own official site)
- 2 仏像等(三徳山)Tottori Prefecture (Chubu General Office)
- 5 修験の世界(三徳山)Tottori Prefecture (Chubu General Office)
- 三徳山の世界遺産登録Tottori Prefecture (Cultural Properties Division)
- 文化遺産のツボ 第17回「祝!「三徳山・三朝温泉」日本遺産初認定」Tottori Prefecture (Cultural Properties Division)
