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The Ryūkyū Kingdom: A Kingdom Connected by the Sea

琉球王国―海でつながった王国

沖縄は約450年のあいだ、首里城を王城とする一つの王国だった。東アジア・東南アジアの海をめぐる交易で栄えたが、1609年に薩摩の侵攻を受け、1879年に王国は終わった。

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芝生の丘の上に曲線を描いて続く座喜味城跡の灰色の石垣。右手の城壁にはアーチ型の門があり、奥には松の木と白い雲の浮かぶ青空が見える
読谷村の座喜味城跡の曲線を描く石垣とアーチ型の城門。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ(2023年6月撮影)。Renate Hano, 2023-06-08 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

沖縄は約450年のあいだ、首里の王城から治められる一つの王国だった。文化庁は、琉球王国が中国・朝鮮・日本・東南アジアとの広い交易を経済の基盤とし、当時の日本の文化とは異なる、国際色豊かな独特の文化を育んだと説明している。

この記事では、1429年の統一から、1609年の薩摩の侵攻を経て、1879年に王国が終わるまでをたどり、最後に世界遺産となった史跡と、首里城の再建を紹介する。

グスクの時代

沖縄観光コンベンションビューローが公開する沖縄の歴史の解説によれば、12世紀から15世紀ごろはグスク時代と呼ばれる。人々は農業を中心とした暮らしへ移り、各地に按司(あじ)と呼ばれる指導者が現れた。13世紀になると、有力な按司が砦としてのグスクを築き、武力を背景にそれぞれの地域を支配するようになった。

解釈が分かれる

同じ解説は、小高い丘の上の拝所や、死者を葬った森の茂みなどもグスクと呼ばれることを紹介している。聖域をもつ集落から有力な按司の拠点へと発展したものと、初めから王宮として築かれた大型のものがあったと考えられているが、その成り立ちはまだ解明されていない。

文化庁によれば、浦添城跡の発掘では、13世紀末から14世紀初めの第1期に始まる、4ないし5時期にわたる遺構が見つかっている。どの王統が築いたのかについては確証がない。

三つの王国から一つへ

14世紀の中ごろには、沖縄島に三つの王国が並び立っていた。内閣府はこれを北山・中山・南山と呼び、観光コンベンションビューローの解説は、それぞれ島の北部・中部・南部にあったとしている。

文化庁の広報誌の記事によれば、琉球と中国の交流は、1372年に中山王察度(さっと)が明の洪武帝の招きに応じて進貢関係を結んだのが始まりといわれる。中国の皇帝が琉球の国王を任命する「冊封(さっぽう)」は、1404年から1866年までに20回以上行われた。観光コンベンションビューローの解説は、冊封を受けると明との貿易が許されたとしている。

文化庁によれば、15世紀の初め、尚巴志(しょうはし)は本島南部の島尻地域にあった城を攻め落とし、そこを三山統一の拠点とした。

内閣府は、1429年に尚巴志が北山・中山・南山をはじめて統一して琉球王国の初代国王となり、首里城を拠点にしたと伝えられるとしている。首里城は14世紀の半ばごろに築かれた城で、第一尚氏・第二尚氏の王城として約450年にわたって使われた。建物の随所に、中国や日本の建築文化の影響が見られる。

海の王国

沖縄県の子ども向けの歴史のページは、琉球が中国や日本、アジアの国々にさかんに出かけて品物の売り買いをし、那覇の港は海外から運ばれた物や外国人であふれたといわれると紹介している。この時代は「大交易時代」と呼ばれる。琉球は「レキオ」の名で、ポルトガルの資料にも記録されている。

観光コンベンションビューローの解説によれば、琉球はルソン、シャム、ジャワ、マラッカなどで香料や象牙などの南方の品々を買い入れて日本・朝鮮・中国へ売り、日本の刀剣や漆器、朝鮮の木綿、中国の生糸や陶磁器を他の地域で売りさばいて、大きな利益を上げた。

冊封使を迎えることは、国の一大事業だった。文化庁の広報誌によれば、王府は数か月にわたる式典を行い、一行のために豪華な宴を催した。そこで演じられた歌や踊り、組踊などの芸能は、国王に授ける王冠を運んできた船の名にちなんで「御冠船踊(おかんせんおどり)」と呼ばれた。

薩摩の侵攻と二つの国のあいだで

1609年、琉球王国は九州南部の薩摩藩の侵攻を受けた。観光コンベンションビューローの解説によれば、1603年に江戸幕府を開いた徳川家康は、琉球を幕府に従わせるよう薩摩藩に命じた。

琉球がこれに応じなかったため、薩摩藩は約3,000の兵と100隻の軍船を送った。薩摩軍は奄美大島・徳之島・沖永良部島を攻略して運天港から沖縄島に上陸し、琉球王国の軍は敗れた。

文化庁は、このとき浦添城が戦火にあったと記している。国土交通省によれば、この戦いの結果、奄美群島は琉球から分けられ、薩摩藩の直轄となった。

文化庁の広報誌によれば、その後の琉球は、薩摩の実質的な支配を受けながら形式的には中国皇帝の冊封を受けるという変則的なかたちで、日本の幕藩体制に組み込まれた。観光コンベンションビューローの解説は、薩摩藩が1611年までに琉球の検地を行って年貢を納めさせ、掟を定めたこと、そして進貢貿易の利益に目をつけていたため、中国に対しては薩摩の支配を隠したことを紹介している。

琉球はまた、国王が即位するたびに謝恩使を、徳川将軍が代わるたびに慶賀使を江戸へ送った。これを「江戸上り」といい、1634年から1850年までに18回行われた。一行の踊童子が、将軍の前や薩摩藩邸で舞踊を披露したという記録がある。

江戸幕府が受け取った中山王の書翰21通は、重要文化財になっている。文化庁のデータベースによれば、正徳年間に幕府が薩摩藩を通じて、書翰の一部の言葉を敬語表現として不適当だと伝えたのち、書翰は漢文体から和文の候文へと改められた。

王国の終わり

1872年、明治政府は琉球国を琉球藩とした。観光コンベンションビューローの解説によれば、1875年には清国との冊封関係の廃止などを求めた。

沖縄県公文書館によれば、1879年3月27日、内務大書記官が警官160名と熊本鎮台分遣隊400人の武装兵力を率いて首里城へ向かった。そして琉球藩を廃して沖縄県を置くという命令書を読み上げ、国王尚泰(しょうたい)の東京居住と首里城の明け渡しなどを命じた。公文書館は、1872年からの一連の措置が政府の公文書にちなんで「琉球処分」と呼ばれること、15世紀初めに統一国家として成立した王国が450年余り続いたことを説明している。

首里城―失われ、よみがえる

首里城は歴史の中で何度も焼失と復元を繰り返してきた。内閣府によれば、1945年には沖縄戦でアメリカ軍の攻撃を受けて全焼した。1986年の閣議決定を経て、1992年11月3日に正殿などが復元されて一部開園し、2019年2月に全面開園となった。

2019年10月31日の火災で、正殿などの主要な施設が再び焼失した。文化庁は、正殿を含む9棟の建造物が全焼したと報告している。

世界遺産としての価値をもつ遺構では、展示・研究のために露出していた2か所(史跡の範囲の約0.05%)が被災した。それ以外の遺構は盛土で守られて影響はないと考えられ、文化庁は価値への影響を軽微と考えられるとした。

政府の方針では、正殿は1712年に再建され1925年に国宝に指定された姿に復元することを原則とし、防火対策も強化する。2022年11月には正殿の復元工事の起工式が行われた。2026年6月、内閣官房長官は正殿の復元完成式を2026年11月22日に首里城公園で行うと発表し、首里城公園は11月23日正午から正殿の一般公開を始めるとしている。

訪れられる場所

2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産一覧表に記載された。9つの構成資産は、今帰仁城跡・座喜味城跡・勝連城跡・中城城跡・首里城跡の城跡と、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽である。城壁は主に珊瑚石灰岩で造られ、曲面を多く使った琉球独自の特色をもつ。

座喜味城は、読谷山(よみたんざ)按司によって築かれたと伝えられる城で、1420年ごろの按司の居城だった。アーチ型の二つの城門と見事な石垣が残る。第二次世界大戦中は日本軍の砲兵陣地に、戦後はアメリカ軍の通信基地に使われた。

観光コンベンションビューローの解説によれば、国王は首里城の外へ出るとき必ず園比屋武御嶽石門を通ったといわれ、最後の国王尚泰は玉陵に眠っている。復元された首里城正殿の内部を見学するには、日時を指定した入場券の予約が必要になる。開館時間などは、訪れる前に各施設の公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 沖縄県の歴史(おきなわ修学旅行ナビ)Okinawa Convention & Visitors Bureau (Okinawa Prefecture)
  2. 浦添城跡Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  3. 島添大里城跡Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  4. 琉球王国のグスク及び関連遺産群Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  5. 世界文化遺産プロモーション事業Okinawa Prefecture (Tourism Promotion Division)
  6. 首里城公園(国営沖縄記念公園 首里城地区)Cabinet Office
  7. 琉球王朝文化の華「琉球舞踊」(ぶんかる)Agency for Cultural Affairs
  8. 歴史概要(沖縄こどもランド)Okinawa Prefecture
  9. 奄美群島の概要Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism
  10. 琉球国中山王書翰並貢物目録Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  11. あの日の沖縄 1879年3月27日「沖縄県」の設置Okinawa Prefectural Archives
  12. 資料1-3 世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」首里城跡で発生した火災の被害状況報告の概要Agency for Cultural Affairs (paper for the 146th Japanese National Commission for UNESCO, MEXT)
  13. 令和8年6月2日(火)午前 内閣官房長官記者会見(首里城正殿の復元完成式について)Cabinet Secretariat (Prime Minister's Office of Japan)
  14. 首里城公園(トップページ・お知らせ)Shurijo Castle Park (Okinawa Churashima Foundation)
  15. 座喜味城跡Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)