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新潟県 · 近世 · 江戸時代

Sado's Gold and Silver Mines: The Island That Fed Edo's Economy

佐渡の金銀山―江戸の経済を支えた島

徳川幕府のもと、佐渡島で人の手によって掘られ精錬された金銀のうち、金の一部はその場で小判に造られて江戸へ運ばれた。その歴史は2024年に世界遺産として認められた。

約7分 · 出典 13件

緑の木々の上にそびえる山の尾根が、深いV字の切れ込みで2つの岩の峰に割れている。手前に「道遊の割戸」と書かれた木の看板がある
佐渡・相川の道遊の割戸(2009年7月撮影)。Muramasa, 2009-07-12 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported · 出典 · 縮小して掲載

新潟県の沖に浮かぶ佐渡島は、鉱物資源に恵まれた島である。新潟県によれば、江戸時代(17世紀から19世紀半ば)に鉱山開発が本格化し、佐渡は金を産出する島として広く知られるようになった。

徳川幕府の直接支配のもとで掘り出された金や銀は、貨幣として使われ、幕府の財政を支えた。2024年7月27日、「佐渡島の金山」はユネスコの世界遺産一覧表に記載された。

この記事では、佐渡で金がどのように見つかり、掘られたのか、鉱石がどのように小判になったのか、そして今、島で何を見ることができるのかをたどる。

2つの金

世界遺産は2つの鉱山のエリアで構成されている。新潟県はこれを「目に見える金」と「目に見えない金」の鉱山と説明している。

島の南西部にある西三川砂金山は、佐渡でもっとも古い砂金山と考えられている。平安時代の『今昔物語集』には砂金を採る話が収められており、これは西三川のことと推定されている。

1589年、佐渡を支配した越後の上杉景勝が西三川砂金山を再開発した。1593年ごろからは産出した砂金が豊臣秀吉に納められ、同じ年には鉱山の繁栄と安全を願って大山祗神社が建てられた。

これに対して相川鶴子金銀山は、「目に見えない金」、つまり硬い岩盤の中の鉱脈に含まれる金を得るための鉱山だった。金を取り出すには、鉱石を細かく砕き、化学的に処理する必要があった。

鶴子の銀、相川の金

鶴子銀山は1542年に発見されたとされる、佐渡最大の銀山である。採掘は1946年まで続いた。

はじめは地表に出た鉱脈を掘り、やがて鉱脈を追って掘り進むようになった。その後、石見銀山から来た山師が坑道掘りを伝え、複数の鉱脈を同時に掘れるようになって、銀の産出量は飛躍的に増えた。

鉛を使って鉱石から銀を取り出す灰吹法などの技術も石見からもたらされた。新潟県は、これがのちに相川で始まる金の生産につながる技術の土台になったとしている。

鶴子銀山の開発は、約1.2km北の相川の山で大規模な金銀の鉱脈が見つかるきっかけとなった。新潟県によれば、相川では江戸時代を通じて金およそ40トン、銀およそ1,800トンが生産され、日本最大の金銀山だった。

幕府の鉱山

1603年、徳川家康は大久保長安を佐渡代官に任命し、鉱山経営の拠点は鶴子から相川へ移された。長安は石見銀山の技術や経営方法を取り入れた。

さらに相川に陣屋(のちの佐渡奉行所)を建て、計画的な町づくりを進め、鉱山への道や小木港を整えた。金銀の産出量はそれまでで最高となった。

相川はもともと海辺の小さな村だった。島の外から多くの人がやって来て、最盛期には人口が5万人にまで増えたといわれている。

奉行所のまわりには、京町・米屋町・味噌屋町など、職業ごとの町が計画的に造られた。米や木材、衣類など暮らしに欠かせない物資が全国各地から運び込まれた。

新潟県は、より大きな背景にも目を向けている。世界の他の地域では鉱山の機械化が進んでいたが、日本はいわゆる鎖国政策によって海外からの技術や知識の流入が限られていた。

そうした中で、佐渡では高度な手工業による採鉱・製錬の技術が250年以上にわたって続いた。県は、徳川幕府が築いた管理体制と労働体制によって高品質の金を大量に生産でき、17世紀には佐渡が世界有数の金鉱山になったとしている。

鉱石から小判へ

相川の初期の採掘は、地表に現れた鉱脈を掘り取るものだった。その代表が、山が真っ二つに割れたような「道遊の割戸」である。

上部の露頭掘りの跡は江戸時代に人の力で掘られたもので、深さ74m、幅30m、長さ120mに及ぶ。下部の大きな穴は、明治時代以降にダイナマイトを使って掘った跡である。

鉱脈が深くなると、坑道を掘って採掘するようになった。鉱石は鑽(たがね)と鎚で掘られたが、とても硬く、1日に10cmほどしか掘れなかったといわれている。

坑道に湧き出る水は、いつも悩みの種だった。1653年には、筒の中に螺旋状の板を付けた排水具「水上輪」が導入された。西洋ではアルキメデス・ポンプとして知られ、中国を経て日本に伝わったものである。

掘り出した鉱石は鉄の鎚で砕き、石臼で細かくすりつぶしたうえで、水を使って金銀を選り分けた。製錬では、まず灰吹法で金と銀の合金を取り出し、硫黄と塩を使う方法で金と銀に分けた。

金は、金の含有率66〜87%という小判の品位に合わせて純度を高められた。新潟県によれば、塩を使う「焼金法」を示す遺構は世界的にもほとんど残っておらず、国内では佐渡にしか残っていない。

1759年、佐渡奉行の石谷清昌は、町のあちこちに散らばっていた作業場を奉行所の中に集めた。これ以後、金は奉行所の直接の管理のもとで生産されるようになった。

小判は奉行所の隣にあった小判所で造られた。新潟県によれば、採掘から小判の製造までを同じ場所で行った鉱山は国内で佐渡だけであり、その工程を描いた鉱山絵巻が100点以上残っている。

小判は毎年、厳重な警護のもとで相川から小木へ運ばれ、船で対岸の出雲崎に渡り、北国街道と中山道を経て江戸まで届けられた。県は、幕府が佐渡の金銀を政治や外国との貿易の資金に使ったとしている。

衰えと、その後の長い歴史

17世紀後半になると良質な鉱脈がしだいに尽き、深くなった坑道は湧き水に悩まされた。佐渡奉行の荻原重秀は、1691年から南沢疎水道の掘削を進めた。

鑽と鎚による手掘りで5年をかけた約1kmの排水坑道で、6か所から同時に掘り進めながら、ほとんど誤差なく貫通した。これによって金銀の生産は再び増え、疎水道は今も坑内の水を日本海へ流し続けている。

佐渡市の調査報告書(2014年)によれば、1770年代からは、江戸の町に増えていた無宿人(住所の定まらない人々)が、水替人足として相川へ送られてきた。江戸の治安を回復し、鉱山の人手不足を補うためだった。水替は釣瓶などで水を汲み上げる作業で、一昼夜の勤務を隔日で交代した。

しかし18世紀以降は新しい鉱脈が見つからず、鉱山は少しずつ衰えていった。西三川でも産出量が減り、1872年に閉山した。砂金を採っていた人びとは農業や林業に生業を変え、この地に住み続けた。

相川での採掘は近代に入っても続いた。佐渡市によれば、1989年に採掘が休止されるまでに、記録に残るだけでも金78トン、銀2,330トンが産出された。

2024年7月の登録の際、日本政府は世界遺産委員会で、「全ての労働者の過酷な労働環境を説明し、その労苦を記憶に留めるため」、現地の説明・展示施設に全ての労働者に関する新たな展示物を既に展示したと述べた。また、「全ての労働者、特に朝鮮半島出身労働者を誠実に記憶に留めつつ」、説明・展示の取り組みを続けるとした。

この発言によれば、展示は、戦時中の朝鮮半島で初めに「募集」、次に「官斡旋」が行われ、1944年9月以降は「徴用」が行われたことを説明している。朝鮮半島出身の労働者は、削岩などの危険な坑内作業に従事する者の割合が高かったことを示すデータも展示されている。

鉱山は島の文化にも跡を残した。新潟県によれば、佐渡に能が広まったきっかけは大久保長安が能楽師を伴って来島したことで、島内には今も30以上の能舞台が残る。

鉱山の神をまつる大山祇神社の祭礼で奉納される「やわらぎ」は、鉱山の道具を装束や楽器の代わりに使う神事芸能である。硬い鉱石がやわらぐように、山の神の心がやわらぐように、という鉱山で働く人びとの願いが込められているといわれる。

佐渡島の金山を訪ねる

2026年7月の時点で、相川では、2000年に安政年間当時の姿に復元された史跡佐渡奉行所跡のほか、相川郷土博物館、ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」が来館者を迎えている。

西三川砂金山のエリア(現在の笹川集落の周辺)は、今も住民が暮らす場所で、観光客向けの施設はない。新潟県は、ガイドツアーで訪れるよう呼びかけている。

鶴子銀山のエリアは足元が悪く、危険な場所もある。2026年の時点で、県はガイドツアーでの訪問を勧めており、ツアーは準備中としている。

どの場所でも、立入禁止の場所には入らず、何も持ち帰らないようにしたい。開館日やツアーの最新情報は、新潟県や佐渡市の公式サイトで確認してから出かけてほしい。

出典

  1. 佐渡島の金山とは新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  2. 相川金銀山新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  3. 西三川砂金山新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  4. 鶴子銀山新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  5. 鉱石から小判ができるまで新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  6. 伝統的手工業による鉱山技術新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  7. 鉱山由来の文化と暮らし新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  8. 現地見学をご検討中のみなさまへのお願い新潟県(観光文化スポーツ部 文化課 世界遺産室)
  9. 「佐渡島の金山」世界文化遺産登録2周年記念 3施設の無料開館(佐渡市よりお知らせ)佐渡市(新潟県の世界遺産ページに掲載)
  10. 佐渡金銀山を世界遺産に佐渡市
  11. 佐渡金銀山 相川金銀山跡分布調査報告書(佐渡金銀山遺跡調査報告書第18集)Sado City (佐渡市世界遺産推進課)
  12. ユネスコ第46回世界遺産委員会における「佐渡島の金山」の審議に際する 日本政府代表ステートメントMinistry of Foreign Affairs of Japan
  13. Statement by the Japanese Delegation on the occasion of the deliberation of "Sado Island Gold Mines" at the 46th Session of the World Heritage Committee of UNESCOMinistry of Foreign Affairs of Japan