Japan Through Time

鹿児島県 · 近世

The Shūseikan and the Satsuma Students: Western Technology in Late Edo Kagoshima

集成館事業と薩摩の留学生―幕末の鹿児島に西洋の技術を

薩摩藩は1851年から鹿児島に工場群「集成館」を築き、1865年には19人の若者をひそかに英国へ送り出した。その歩みは今、世界遺産の遺構と海辺の記念館で知ることができる。

約7分 · 出典 19件

林の中にある、苔むした大きな切石を積んだ低く丸みのある構造物。右側にはアーチ状の石を渡した狭い入口がある。手前の低い木の柵の前、土の道の上に、段のある台座に載った風化した四角い石柱が立ち、背後には高い木々が茂っている
集成館に燃料を送るため1858年に築かれた寺山炭窯跡(2015年7月撮影。2019年と2023年に石積みの一部が崩れる前の姿)。Sakoppi, 2015-07-18 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported · 出典 · 縮小して掲載

江戸時代の終わり、九州南部の薩摩藩は、西洋式の産業を自分たちの土地に築こうとした。その中心となったのが、現在の鹿児島市磯にあった島津家の別邸のそばに建てられた工場群「集成館」である。

鹿児島市は、集成館事業の始まりを1851年としている。1865年には、同じ薩摩藩が19人の若者をひそかに英国へ送り出した。集成館の遺構は今、世界遺産の一部となり、海辺の記念館が留学生たちの歩みを伝えている。

日本の南の玄関口

明治日本の産業革命遺産の世界遺産協議会は、薩摩藩を日本列島の南の玄関口に位置する藩と説明している。協議会によれば、アヘン戦争で清が敗れてから海防への危機感が高まり、薩摩藩は諸藩に先駆けて大砲の鋳造や蒸気船の建造に挑んだ。

鹿児島市は、薩摩藩が琉球貿易を行っていたこともあって海外に開かれていたと述べている。市によれば、藩主・島津斉彬はアヘン戦争をきっかけに富国強兵・殖産興業の必要性を強く認識し、集成館事業を始めた。

斉彬が藩主となったのは嘉永4年(1851)である。協議会によれば、斉彬は和船の技術で三本マストの洋式帆船「昇平丸」を建造させた。1855年には、藩士たちが蒸気船の技術書の訳本を手に試行錯誤を重ね、協議会が日本初とする蒸気船「雲行丸」を完成させた。

工場群・集成館

文化庁によれば、集成館は嘉永5年(1852)冬、磯邸の中に反射炉を設けたのに始まる。反射炉は、鉄を溶かして大砲を鋳造するための炉である。尚古集成館は、斉彬が仙巌園の隣の竹林を切り開いて反射炉を建て始めたとしている。

オランダの書物をもとに造った1号炉は、炉の中の温度を高く保てず、失敗に終わったと鹿児島市は説明している。2号炉では、石橋などに見られる緻密な石組みの技術や薩摩焼の技術を生かして建設に成功した。現存する反射炉跡は、1857年に建設されたこの2号炉の基礎である。

反射炉に続いて、溶鉱炉や鑚開台(大砲の砲身をくりぬく設備)が設けられ、ガラス、陶磁器、農具、刀剣などの工場も造られた。ガスや電気の試験も行われている。鹿児島市は、薩摩切子、薩摩焼、電信機、ガス灯、布、糸などが作られたとしている。

尚古集成館によれば、最盛期には1,200人もの職工が働き、館はこれを当時の国内で最大規模の近代的工場群としている。館は、造砲・造船にとどまらず幅広い産業に広がったことが、斉彬が人々の豊かな暮らしを目指していたことを示すと述べている。

工場を動かすには動力と燃料が必要だった。協議会によれば、斉彬は1852年、既にあった疎水から新たな水路を築き、約7キロにわたって集成館の水車まで水を引いた。1858年には、集成館から約5キロ離れた寺山に、火力の強い白炭を焼く炭窯が築かれた。

戦争と石造りの工場

1858年に斉彬が亡くなると、集成館事業は一時縮小・停止したと尚古集成館は述べている。薩摩藩英国留学生記念館によれば、1862年、島津久光の行列が生麦村付近に差しかかったとき、薩摩藩士が英国人の一行に斬りかかる事件が起きた。

国土交通省は、この生麦事件をきっかけに1863年の薩英戦争が起きたとしている。英国艦隊が鹿児島湾に現れ、文化庁によれば、集成館はこの戦いで反射炉を除いて焼失した。

国土交通省によれば、薩摩藩はこの戦争を機に、英国の科学技術を取り入れる必要を痛感した。鹿児島市は、斉彬の弟で新しい藩主の父である久光が近代化の必要性を再認識し、英国と和睦した後、機械の輸入や技師の招聘によって集成館事業の再興を図ったとしている。

再興後に最初に建てられたのが機械工場である。文化庁の記録では、元治元年(1864)10月に工場の建築に着手し、慶応元年(1865)4月に機械の据え付けを終えた。尚古集成館によれば、25馬力の蒸気機関と近代的な工作機械を備え、当初は洋式船の整備を行う工場だった。

細長い平屋の建物は、南九州に多い溶結凝灰岩で造られ、建設当初から「ストンホーム」と呼ばれていた。鹿児島市は、日本に現存する近代的な工場の建物として最も古いものとしている。

羽島から旅立った19人

薩摩藩士の五代友厚は、薩英戦争で英国側の捕虜となった。薩摩藩英国留学生記念館によれば、五代は長崎で英国商人トーマス・グラバーと親しくなり、1864年6月頃、海外への留学生の派遣、新しい機械の購入、外国人技術者の雇用などを藩に上申した。

記念館は、この上申書が英国留学の方針を決める引き金になったとしている。視察員4人と、藩の洋学校である開成所を中心に留学生15人が選ばれた。海外渡航は禁じられていたため、表向きの辞令は「甑島・大島周辺の調査」で、一人ひとりに変名が与えられた。

県の歴史資料センター黎明館は、この甑島・大島への出張の命令を慶応元年(1865)1月(旧暦)としている。国土交通省によれば、グラバーの仲介で派遣された使節・留学生は19名だった。

一行は、薩摩半島の羽島で2か月余り船を待ちながら勉学に励んだ。1865年4月、現在のいちき串木野市の羽島から、蒸気船オースタライエン号で出航した。記念館は、出航の日を4月17日としている。

鹿児島県によれば、英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドンには今も留学生の学籍簿が保管され、記念の石碑が建てられている。国土交通省は、留学生たちがのちに明治政府の高官として活躍したとしている。

記念館の紹介によれば、寺島宗則は外務卿となって条約改正に取り組み、森有礼は初代文部大臣を務めた。五代は大阪で実業家となり、大阪商工会議所の初代会頭となった。

村橋久成は開拓使で札幌の麦酒醸造所をつくる事業を率い、この醸造所は現在のサッポロビールの前身となった。13歳で旅立った長沢鼎はアメリカに永住し、カリフォルニアでワイン醸造に成功して「ブドウ王」と呼ばれた。

マンチェスターから来た機械

鹿児島県によれば、五代友厚らは英国のマンチェスターで、木綿の紡績機械の購入と紡績技師の派遣の契約を結んだ。国土交通省は、1867年に集成館で鹿児島紡績所が操業を始めたとし、これを日本初の洋式機械紡績工場としている。

紡績所で技術指導にあたった英国人技師たちの宿舎も建てられた。鹿児島市は慶応3年(1867)の建築とし、尚古集成館は慶応2年(1866)の竣工としている。鹿児島市は、日本で最も初期の洋風木造建築の代表的なものとし、コロニアル様式のベランダと日本の寸法による設計を併せ持つ和洋折衷の建物と説明している。

文化庁によれば、集成館の事業は明治2年(1869)9月に中止された。尚古集成館によれば、機械工場はその後、陸軍、海軍、島津家の所有と移り変わり、1915年に操業を止めたのち、1923年に博物館「尚古集成館」として開館した。

2015年7月5日、世界遺産委員会は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産一覧表への記載を決めた。鹿児島の構成資産は、機械工場や技師館を含む旧集成館、寺山炭窯跡、関吉の疎水溝である。

登録の際、日本政府は世界遺産委員会で、「1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたこと」について理解できるような措置を講じると発言した。発言は、8県にある23の構成資産から成るこの世界遺産の全体についてのもので、どのサイトかは挙げていない。

外務省は、この発言は違法な「強制労働」があったと認めるものではないと注記している。2022年の日本政府の報告書は、徴用された朝鮮半島出身の労働者がいたのは一部のサイトだけだったとしている。

訪れられる場所

尚古集成館は、鹿児島市吉野町の仙巌園の隣にある旧機械工場の建物そのもので、近くに反射炉跡もある。鹿児島市によれば、技師館(異人館)はJR仙巌園駅から歩いて約5分である。

寺山炭窯跡では、2019年の大雨で炭窯の石積みが崩れ、復旧工事中の2023年にも再び崩れた。協議会によれば、周辺は立ち入りが制限されているが、自然遊歩道は通ることができる。稲荷川から水を取り入れた関吉の疎水溝の取水口跡も残っている。

羽島には、いちき串木野市が2014年7月に開館した薩摩藩英国留学生記念館がある。開館時間や料金、見学の可否は、訪れる前にそれぞれの公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 旧集成館 附寺山炭窯跡 関吉の疎水溝Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
  2. かごしま近代化産業遺産 協働行動計画Kagoshima City
  3. 旧鹿児島紡績所技師館(異人館)Kagoshima City
  4. 敵に勝つには敵から学べ(九州と諸外国の交流ストーリー集2019)Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism (Kyushu Regional Development Bureau)
  5. 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の概要Cabinet Secretariat (Office for World Heritage of Industrial Heritage)
  6. 英国との交流(資料)Kagoshima Prefecture
  7. 今日は何の日?(1月)Kagoshima Prefecture (Reimeikan, Kagoshima Prefectural Center for Historical Material)
  8. 旧集成館(ストーリー&サイト 鹿児島)World Heritage Council for the Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution
  9. 寺山炭窯跡(ストーリー&サイト 鹿児島)World Heritage Council for the Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution
  10. 関吉の疎水溝(ストーリー&サイト 鹿児島)World Heritage Council for the Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution
  11. 世界文化遺産(尚古集成館)Shimadzu Limited (Shoko Shuseikan Museum)
  12. 尚古集成館についてShimadzu Limited (Shoko Shuseikan Museum)
  13. 薩摩藩英国留学生の歴史Satsuma Students Museum (Ichikikushikino City)
  14. ようこそ(薩摩藩英国留学生記念館)Satsuma Students Museum (Ichikikushikino City)
  15. Welcome! (The Satsuma Students Museum, English page)Satsuma Students Museum (Ichikikushikino City)
  16. 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」のユネスコ世界遺産一覧表への記載決定(第39回世界遺産委員会における7月5日日本代表団発言について)Ministry of Foreign Affairs of Japan
  17. State of Conservation Report: Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding, and Coal Mining (Japan) (ID: 1484)Cabinet Secretariat, Government of Japan
  18. OUV:世界遺産としての価値(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)World Heritage Council for the Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution
  19. 世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」とはFukuoka Prefecture