東京から北東へ約60km、研究と教育のためにつくられた都市、筑波研究学園都市がある。つくば市によれば、東京にある国の試験研究機関などを計画的に移転して東京の過密を和らげるとともに、高い水準の研究と教育を行う拠点をつくることを目的とした国家プロジェクトだった。
筑波地区への建設が決まったのは1963年である。この記事では、筑波の地が研究機関・大学・計画的な住宅地からなる都市になるまでの歩みと、今訪れて見られる場所を紹介する。
なぜ筑波だったのか
つくば市によれば、建設地は富士山麓・赤城・筑波・那須の4つの候補地から選ばれた。1963年(昭和38年)9月、研究学園都市を筑波地区に建設することが閣議で了解された。
用地の取得と造成は、日本住宅公団(現在の都市再生機構)が担うことになった。こうして、東京の過密緩和、科学技術の振興と高等教育の充実を目的とする新都市の建設が、国家プロジェクトとして動き出した。
つくば市は、建設の目的を2つ挙げている。1つ目は、東京とその周辺から移転した国の試験研究機関と、新しく設けた筑波大学を中心に、高い水準の研究と教育の拠点をつくり、均衡のとれた田園都市を整えることである。
2つ目は、必ずしも東京にある必要のない国の試験研究・教育機関を計画的に移し、首都圏の既成市街地への人口の過度な集中を和らげることだった。
土地・法律・移転する機関
当初、この事業は4,000haを全面買収して都市を建設すると発表された。つくば市によれば、反対運動などにより、現在の約2,700haの区域の中で整備する方法に改められた。
全体の調整は国土庁(現在の国土交通省)が行い、日本住宅公団がマスタープランの作成や基盤整備を担った。4つの事業手法が組み合わされ、国の研究・教育機関を整備する「一団地の官公庁施設事業」(約1,460ha)と、土地を全面買収して住宅地などを整える「新住宅市街地開発事業」(約260ha)が行われた。
残る2つは、減歩によって公共用地を確保する「土地区画整理事業」(約1,100ha)と、公園を整備する「都市計画公園事業」(約30ha)である。
その後の歩みは、筑波大学の沿革に記録されている。1967年9月、東京教育大学を含む36機関を筑波地区への移転予定機関とすることが閣議で了解された。
1970年5月には筑波研究学園都市建設法が成立した。1972年5月、筑波新大学(仮称)など、研究学園都市に新設・移転する研究教育機関が閣議で決定された。
同じ年の8月には、政府機関の移転を繰り上げて1975年度までに完了させることが閣議で了解された。建設法は、中心となる研究学園地区と、その周辺開発地区について、それぞれ計画を定めることも求めていた。
大学と最初の研究機関
筑波大学は、国立学校設置法等の一部を改正する法律により、1973年10月に設置された。のちに学長を務めた岩崎洋一氏は、国土交通省が公開している講演で、その成り立ちを東京教育大学から説明している。
岩崎氏によれば、東京教育大学の研究学園都市への移転を機に大学の抜本的な改革が行われ、1973年に総合大学として開学した。
同じころ、ほかの機関も移ってきた。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、研究学園都市の一画にある筑波宇宙センターが1972年に開設されたとしている。
つくば市によれば、1980年(昭和55年)3月には、当初予定されていた43の研究教育機関の移転が完了した。市はこれをもって都市としての「概成」を迎えたとしている。
新しい町での暮らし
1975年に筑波へ移り住んだ岩崎氏は、当時は大通りも貫通しておらず、道路は舗装されていなかったと振り返っている。当時のうたい文句は「長靴と星空」だったという。
岩崎氏によれば、1977年にようやく東大通りが貫通し、1979年に東西のメイン道路(通称、学園線)が完成した。1983年につくばセンタービルが、1985年にデパートができるまでは、買い物にもわざわざ土浦市まで出かけていた。
また岩崎氏は、移転後の初めのころ、以前からその地域に住んでいた人と移ってきた人が「旧住民」「新住民」と呼ばれ、話し合う機会はあまりなかったと述べている。お互いが自然に交流できるようになるまでには時間がかかったという。
科学万博とその後
1985年、研究学園都市で国際科学技術博覧会(科学万博-つくば'85)が開かれた。テーマは「人間・居住・環境と科学技術」だった。
つくば市は、この博覧会が「つくば」の名を世界に知らしめたとしている。岩崎氏の年表によれば、同じ1985年に常磐自動車道も開通した。
1987年には町村の合併によってつくば市が誕生した。2005年にはつくばエクスプレスが開通し、岩崎氏によれば、研究学園都市と秋葉原を最短45分で結んだ。
現在、研究学園都市の区域はつくば市全域、約28,372haにあたる。2020年の国勢調査の人口は約24.2万人で、計画人口は35万人である。
つくば市によれば、2026年4月現在、市内には31の国などの研究・教育機関がある。市のページ(2026年5月更新)は、民間を合わせると約160の研究機関が立地し、14,000人を超える研究者が活躍しているとしている。
市は、つくばをおよそ2万人の研究従事者を抱える日本最大のサイエンスシティとし、ノーベル賞受賞者も生まれたと紹介している。研究学園地区は、総延長約48kmの歩行者専用道路(ペデストリアンデッキ)で結ばれている。
研究学園都市を訪ねる
つくばエキスポセンターは、科学万博を記念する恒久施設として建てられた。1986年には科学館として再オープンした。
現在は、科学技術を体験できる展示や、科学万博を振り返るコーナー、プラネタリウムがある。館はこのプラネタリウムを世界最大級としている。
JAXA筑波宇宙センターの展示館「スペースドーム」では、日本の宇宙開発を進めてきたJAXAの歩みと現在が紹介され、実物大の人工衛星や本物のロケットエンジン、「きぼう」日本実験棟の実物大モデルを見られる。ガイド付き見学ツアーはウェブでの予約が必要である。
筑波宇宙センターは臨時に休館することがあるとしている。訪れる前に、それぞれの公式サイトで確かめてほしい。
出典
- 筑波研究学園都市のあゆみTsukuba City
- 筑波研究学園都市とはTsukuba City
- 令和5年度 年次報告 1 管理運営関係(1)沿革University of Tsukuba
- 筑波研究学園都市の歴史にみる都市づくりのあり方(国会等の移転ホームページ オンライン講演会)Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism
- 筑波宇宙センターJapan Aerospace Exploration Agency (JAXA)
- つくばエキスポセンターについて 概要Tsukuba Expo Center (Tsukuba Science Expo Memorial Foundation)
- 展示フロアガイドTsukuba Expo Center (Tsukuba Science Expo Memorial Foundation)
- 筑波宇宙センター見学のご案内Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA)
- 屋外展示場Tsukuba Expo Center (Tsukuba Science Expo Memorial Foundation)
